母が生きていたころ、同じ団地に友人(?)がいました。母と友人は同じ宗教の信者でした。一時期は同じところでパートをしていたこともあったようです。私と同級生の息子もいたので、分かり合える間柄だったのかもしれません。
誰にでも借金を申し込む女性
しかしいつのころからか、母はその友人を避け始めました。とてもおしゃれだったというその人は、誰彼かまわず借金を申し込んでいたのです。何十万という金額を借りるのではなく、高くて3万円、それが無理なら1万円でも良いから貸してくれと言っていたそうです。
母は経済的な事情でお金を貸すことができませんでした。だから友人となるべく顔を合わさないようにしたようですが、事情を知らずに、それほど困っているなら、とお金を貸す人は多かったようです。中には返してもらわないまま亡くなった人もいました(生きている人にもほとんど返金はないということでした)。
貸していないのに怒っていた母
今から5年前、母の入院中(その後母は亡くなります)に日記が出てきましたが、それには友人への怒りが書かれていました。確かに友人の行動は感心できるものではありませんが、母は自分がお金を貸していたわけではありません。言ってみれば関係のないことです。
友人は誰彼かまわず借金をしているのに、おしゃれを楽しみ、生き生きとパートをしていました。人当たりも良かったので、借金ばかりしている割には評判も悪くありませんでした。一方、私の母は真面目な人でしたが、人当たりが良いとは言えませんでした。私と同級生だった友人の息子は成績が良く、何よりも真面目な青年でした(今はどうなっているか知りません)。
母はそんな諸々が気に入らなかったのかもしれません。借金をして返さないのは悪いことなのに、その報いも受けず、幸せそうにしている彼女を許せずに日記に書くだけ書いて死んでしまったのでしょう。もしかすると嫉妬のような気持ちがあったのかもしれません。
幸せなのはどっち?
母が亡くなる直前、その友人は同じ宗教の信者を伴ってお見舞いに来てくれました。「私たち、とても仲良くしていたのよ」と友人は言っていましたが、日記に書かれていたことを思うと、私は本当に仲が良かったのかと疑いを持ちました。
でも、母は日記に書くことで不満などを吐き出していたのかもしれません。今は母と友人は意外に仲良くしていたのかもしれないと思っています。
今でも母と友人はどちらが幸せだったのかな、と考えることがあります。後ろめたいことはないけれど、不満を感じていた母と借金をしても幸せそうに生きた友人は対照的に思えます。まあ、その友人が本当に幸せだったのかは、本人にしかわかりませんが…
幸せのために、お金には気をつけたい
私自身は、1人3万円くらいで借金を申し込むのはうまい方法だと思います。私は何十万もの大金を貸してくれと言われたら、決して貸さないと思います。でも、3万円ならどうでしょうか。私にとって3万円は決して少なくありませんが、絶対に用意できないわけでもありません。そして、返ってこないときも仕方がないと諦めてしまうかもしれない金額だと思います。
お金というのは大金だけに気をつけるのではダメだということを母たちに教えてもらったような気がします。そんなに高額ではないからと、知り合いに何度もお金を貸すようなことは避けた方が無難です。
自分が貸さないと相手が困ってしまうと考えてしまうかもしれませんが、そういう人は誰にでも借金を頼んでいますから、きっと他の人が貸してくれます。あなたや私が心配する必要はないのです。
私は日記を読んだときはどんよりした気持ちになりましたが(亡くなる直前までそんなことに怒っていたのかと思ったのです)、今ではそんな人間の姿が面白いと思えるようになりました(死んだ親の日記を読んだ私ががいけなかったですね)。