捨てるのが怖い気持ちもわからないではない

生活

昨日テレビでゴミ屋敷の住人について報道していました。3年前に行政の力を借りて、大量のゴミを処分したのに、今また家はゴミで埋め尽くされており、近所の人は困惑しているそうです。

住民は男性で戸建てに1人で暮らしています。母親がまだ健在で、別に暮らしているそうですし、服装から判断すると、50代前半のように見受けられました(顔にはモザイクがかかっていました)。

家の中だけでは収まらず、外にまでゴミが溢れている状態はかなり特殊でしょうが、何だか私には他人事に思えなかったです。

私もゴミを捨てるのが怖いことがある

私はそれほど物に執着する方ではありません。特に夫の祖母や実家の母の最後の様子を見ていると、まだ体力と気力がある50代のうちから身辺整理をした方が良いと考えています。

誰でも同じでしょうが、生きているとゴミが出ます。それを捨てるのにはなんのためらいもありません。もし、ゴミ出しが間に合わなかったら、とてもショックを受けるでしょう。

しかし、今まで自分が手にしていた物をゴミとして捨てるのには、勇気が要ります。ゴミとして捨てるのが怖いのです。まだ、キレイなのに、使えるのに、子どもが小さな頃のお気に入りだったのに、と考え出すと、捨てた途端にとても後悔するのではないか、子どもたち(もうアラサーですが)ががっかりするのではないか、などと言う考えに発展してしまうのです。

その他にも、捨てた後で急にそれが必要になったらどうしよう、同じものをお金を出して買うのは悔しいとまで考えてしまいます。捨てるのは怖い、捨てるのは不安なのですから、それを極端に嫌う人がいても不思議ではありません。

ゴミは巣材と同じ

動物が自分の巣に自分の匂いをつけて、初めて安心できるように、ゴミ屋敷の住人は周りをゴミで固めて初めて安心できるのではないでしょうか。スズメが枯れ草や綿毛を集めて巣を作るように、ゴミを集めて自分の巣を作っているのかもしれません。

飼っている動物の巣材を人間が勝手に新しいものに替えてしまうと、動物はとても落ち着きをなくし、種類によっては人間を威嚇してくるそうです(フェレットを飼っている人から聞きました)。

ゴミだけ片付けても、丸裸にされて不安な住民はもっと急いでゴミを集めようとするのではないでしょうか。なぜゴミを集めずにはいられないのか、それを考えないと人手と金の無駄遣いになるように思います。

今日ゴミを捨てたから、考えた?

こんなことを考えるのは、きっと今日が不燃ゴミの収集日だったからです。私はまた使っていない景品のグラスやマグカップを処分したのです。キレイな色なのに、かわいい柄なのにとグチグチ考えながらです。

でも、20年近く食器棚の上の段に入れられたそれらを誰も使おうとしませんでした。本当にキレイでかわいかったら、誰も見向きもしないはずがありません。夫や母が入院した時に使っていたカップも捨てました。

カップ自体が傷んでいたわけではありませんが、名前を書かれたカップ(書けって言われますよね?)と言うのは、入院していたときのことを思い出させて、使う気にはなれませんでした。また入院したら、と考えないこともありませんが、そのときはそのときでなんとかしましょう。

ゴミって考えると不思議です。どんな人もゴミを一切出さずに生きることはできません。そのゴミの内容、出し方、向き合い方で人間の内部がわかってしまうような気がします。

私はゴミを出すまではいろいろと考えますが、出してしまえば忘れてしまうようです。だから捨てて後悔したことはほとんどありません。1度や2度はしまったと思ったことがあったような気がしますが、何を捨ててそう思ったのかを思い出せないので、大したことではなかったのでしょう。

もう、収集車が私の出したゴミを積んで行ってしまいました。一緒に私のグチグチ言う心も持って行ってくれたようです。

ゴミ屋敷の住人が1日も早く、心の問題を解決して、普通にゴミを捨てられる生活が送れるように願ってやみません。離れて住んでいるお母さんも、きっと心配しているでしょう。

いつまでも子どもを心配するお母さんのことも、私にとっては他人事ではないのです。

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