私が成人するまで住んでいた地域には、被差別部落がありました。
60年ほど前にはその部落出身の人が誘拐殺人の罪で逮捕されるという事件がありました。事件自体はかなり昔のことですが、未だに決着が付いていません。
この逮捕が差別意識に基づいた冤罪ではないのか、という意見は事件当時からよく聞かれた意見でしたが、逮捕された人は無期懲役が確定、1960年代から90年代までの30年以上を刑務所で過ごすことになったのです。
無知ゆえに人を傷つけたかもしれない
差別意識をなくすために必要だとして、私たちが中学生の頃「同和教育」の時間が設けられました。部落出身の人が就職や結婚で不当に差別される内容の短いドラマを見て、感想などを話し合うのです。どうしたら差別をなくせるのか、方法を探るのが目的だったのだと思います。
しかし、当時の私には疑問だらけでした。何しろ部落といっても、その部落がどこにあるのかは誰も教えてくれません。それは自分が住んでいる場所のすぐ近くにあるはずですが、私には遠い世界のように思えました。
部落を遠い世界だと思ってしまう私にとって、差別はさらに遠い世界のことで、画面の向こうで就職や結婚を阻まれているのを見ても、それはドラマとしか受け取れませんでした。私は近くの席の生徒とこんなことを言い合ったのを今でも覚えています。
部落ってどこにあるんだろうね~。場所もわからないんだから、差別のしようがないよね。
ちゃんと調べてわかったこと
つい最近、事件のことを調べる機会があり、私は初めて気付いたことがあります。子ども時代には、ただの悪ふざけと思っていた言葉に実は差別が潜んでいたこと、自分の身近に部落出身の人がいたこと。事件のことを揶揄する悪ふざけを聞きながら、その人たちは息を潜めていたのではないかということ。
子どもが悪ふざけを言うとき、そこには少なからず大人の影響があるでしょう。子どもにはまだ差別意識がなくても、大人にはあったはずです。差別意識は大人から子どもに引き継がれたのです。子どもの言うことだからと、軽く見てはいけないと思います。
私が「部落ってどこにあるんだろうね」と言ったその瞬間も、誰かが早くこの場が終わって欲しいと必死で願っていたのかもしれません。
知らないがゆえに私は誰かを傷つけてしまいました。これは明らかに差別でしょう。このことを悟ったときの気持ちはなんとも言えません。私は50歳を超えるまで自分は差別に無関係だと思っていましたが、実は当事者だったのです。
まずは知ること、そのためには
私に差別について教えてくれたのは、同和教育ではなくてWikipediaでした。だから私は、少しでも差別される側のことを知ることが、差別をなくすためには必要不可欠なのだと思います。
今回私が事件について調べたのは、偶然としか言えません。もしかすると調べないまま終わってしまった可能性もあります。しかし、差別される側の人が声をあげ続けるなら、それが多くの人にとって、何かを知るきっかけになると思います。
声をあげ続けるのは、しんどいことだと思います。ときには同じ立場の人からも非難をされるかもしれません(私の中学時代、多分差別される側の人たちは、騒ぎを大きくしたくない、そもそも誰にも知られたくないという気持ちだったと思います。その中で声をあげるのは難しかったはずです)。
しかし、それでも声をあげ続けて欲しいです。知らずに差別の片棒を担ぐことが嫌だと思う人は多いはずです。その人たちはきっと知って良かったと感謝します。
もちろん、私たちは自分が何も知らないのだと言うことを忘れてはいけないと思います。今まで差別とは無縁だと思っていても、それはたまたま運が良かっただけかもしれないし、自分が差別をする側だから、気が付かなかった可能性もあるのです。
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