子どもの習い事について

タブー

私が楽しみにしている「全然丁寧じゃない暮らし」のseyakate910さんが、子ども(保育園に通っているらしい)の習い事が面倒だとブログに書いていたので、自分の子どもが小さかった頃のことを考えて、懐かしくなりました。

小学生まで習い事はなし!

私も子どもの習い事の付き添いや送り迎えが、面倒だと思っていました。だって幼稚園に通うだけでも、毎日園バスが停まるバス停まで送り迎えをしなくてはならなかったし、保護者会だ、運動会の練習だと外出しなくてはなりませんでした。その上習い事のことまで考えなくてはならないのかと思うと、面倒を通り越して気が滅入るほどでした。さらに習い事にはお金がかかりますから、いろいろな意味で家庭内の問題になります。

結局我が家では子どもたちが小学生になってから、近所の老婦人の家で習字を習うようになりました。それも自分で自転車に乗って行けるほどに近かったからという理由でした。帰りは暗くなるので、迎えに出ましたが、それすらも夕食の支度の手を1度休ませなくてはならないのが、面倒だと感じていました(1度でも手を休めるともうやりたくなくなる…)。

夜の塾の送り迎えで消耗した私

長女は中学3年生になったときに、友だちに誘われたとかで塾に行きましたが、誘われたから行くというのが、私には納得できませんでした。塾というのは、自分で成績が気になるから行くのではないかと考えていたからです。行って楽しいだけの場所ではないから、自分にやる気がなければ、ただのムダ使いです。

いくら私が納得できなくても、塾の授業は夜にありますから、そのときは嫌いな車の運転をして、送り迎えをしました。 夫は酒を飲むので、迎えは絶対に行けないというのです。 送り迎えは1度にかかる時間はわずかですが、往復で考えるとかなり時間を費やすことになります。この意にそぐわない外出に(しかも塾から出て来る長女を車の中で待たなくてはならないことにも)、私にはどうしてもなじめず、その上塾通いに納得していないわけですから、たびたび胃が痛くなりました。

これで、将来自分が年を取ったときに、娘のどちらかが病院に送迎でもしてくれれば、気も晴れますが、娘たちはどちらも自動車を運転しません。次女に至っては、免許も持っていません。

面倒なことは面倒だといいたい

こんなことを書いていると、何と小さなことに文句をいっているのだろうと思う人もいるでしょう。でも、子育てで負担になることの多くが1つずつ見ると、小さなことなのです。送り迎えの時間は1度に長時間かかるわけではないので、娘たちも私がこんなに負担に感じていたことを知ったら、驚くでしょう。そして小さなことがドンドンと積み重なって、人は消耗していくのではないかと私は思っています。

子どもが少ないから、習い事をしても当然、みんなが送り迎えをしてもらっても当然という考えが広がっていると、それをできない、もしくはしたくない人は肩身が狭くなります。そして余計に子どもを育てるのは大変、面倒、という風潮になるのではないでしょうか。

私もしょっちゅう、それぐらいはしてあげなよ、当然だよといわれて、納得できない思いを抱えていました。娘たちはすでに成人しているにも関わらず、こんなに文句がいえるくらいなのですから、私はよほど習い事は面倒だと感じていたようです。

しかし私は夜中の授乳も、夜泣きのケアもおねしょの始末もみんなやりました。これらはサボったら、大事になると思っていたのです。大事にならない、と思えることは面倒だといってもよいように世の中が変わって欲しいな~、と思うのですが、ダメでしょうか。

面倒なことをおおっぴらに面倒だといえる世の中は、子育てもしやすいし、生きやすくなると思うのですが、これは大げさ過ぎるでしょうか。まあ、面倒だと感じたら、どうしたら面倒でなくなるのかを考えることも大切ですけどね。

コメント

  1. 葉月 より:

    そうですか?私は、子供が自主的にやりたいと言ったことは全てやらせました。その代わり、ある程度のレベルに達するまでは辞めないと約束して。たとえば水泳なら4種目制覇まで、ピアノならバイエル卒業まで、というように。
    今思えば、どれもやらせて良かったと納得しています。
    うちは中学受験もしたので、早くから塾の送り迎えもありました。でもこれも本人がやり通したので、その経験は社会人になってからも凄く良い影響を及ぼしています。
    それを思えば、送り迎えなどどうという事もなかったですよ。
    今はきちんと社会貢献が出来る仕事に就いて頑張っていますので、親としては嬉しい限りですね。

    • yumikoneko より:

      葉月さん、いつもコメントありがとうございます。
      人にはそれぞれ違う考えがありますから、葉月さんのご意見ももっもです。
      葉月さんのような方が、良き親であり、当然の考え方をしてると私も思いますが、
      そのような考え方が、それができない人のことを追い詰めることもあるということを、知っていただきたかったのです。

      世の中には、常識に合わせて、人並みにできない人もたくさんいるということを知っておいていただきたいと思います。葉月さん自身、送り迎えくらいどうということはなかったとおっしゃっているのですから、それをやりたくない人間がいてもおかしくはないと思うのですが…

      ご自分が素晴らしい家庭をお持ちであることは、よくわかりましたが、それをあまりにもおっしゃられると、私としてもどのように反応してよいのか困惑します。

  2. 葉月 より:

    レスありがとうございます。
    私は、別に私の考えを押し付けているわけではありません。
    それこそ、こういう見方もある、ということを申し上げただけですし、私は出来た妻でも母でも全くありませんしね。
    ただ、子供に何かしてやれる時期というのはとても短く、あとで後悔しても遅いことはたくさんあります。また、子供にしてやったからといって見返りを期待しているわけでもありません。
    子供が何かに興味を持ったり、やりたいと思った時、面倒だからやりたくないというのはとてもわかりやすい理由ですが、それなら何故子育てなど「面倒」が付き物のことをやりたいと思われたんでしょう?
    私はそこが知りたいです。子供でなく、自分のために時間を割きたいのであれば、強いて親になる必要はないのではないでしょうか?

    • yumikoneko より:

      葉月さんのような考え方が、世の中の大半を占めていることは、最初から何回も申し上げている通り、私もわかっています。それがわかっていても、なお、私のような物の見方をする人間もいるのだとわかっていただきたかっただけです。

      私は子どもが何かをやりたいと思ったときは、自分でやって欲しいと考えていましたし、今もそうです。本当にやりたいことというのは、結局親が反対しても始めるものです。また、私は何でも親が何とかしてくれる、協力してくれると思われるのはとても嫌でした。自分でどうにかしようと考えて、それでもできないときに親を頼るべきだと考えていました。
      結果、私の娘は現在27歳ですが、漫画家への道を歩んでいます。

      強いて親になる必要はないと、おっしゃるのは随分な言い方だと思います。子育ては習い事の送り迎えだけではないし、私でも一生懸命にやっていることはありました。もし、お友だちに自分と違う考え方の人がいたら、葉月さんはそのような言い方をするのでしょうか。

      考え方の違いを認め合うことは、とても難しいことがわかりました。葉月さんはこういう見方もあるといっているだけです、とおっしゃっていますね。それなら私の見方も、こういう考え方もあるんだ、とスルーしてくださればよかったのに、と思ってしまいます。

      私は自分のブログでは自分の見方で見たものを書きたいですし、ちょっとこれからの内容についても考えたいと思います。貴重なお時間をありがとうございました。

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