認知症になっても人の役に立てる幸せがあると、お茶摘みを通して学んだ

認知症の人 生活

この時期になると数年だけですが、お茶摘みの手伝いに行ったことを思い出します。疲れるし、周りには馴染めないし(年齢が違うからだと思います。私の親のような年代の方が多かったです)、良い思い出があまりありません。

しかし、とても感心できることもありました。それは若いときからやっていたことは、身について消えることはない、ということを実感できたことです。実はお茶摘みの手伝いに来ている人の中に、認知症と思われる女性がいました。

認知症となっても、お茶摘みは鮮やかだった女性

最初その女性は、判で押したように同じ話を1日中繰り返しました。ただ、話がくどい人というのは、いるものですから、私はああ、またかと思うくらいでした。しかし、そのうちお昼休みに家に帰りたいというその女性は自分が乗ってきた自転車がどれだかわからなくなり、次には見つけてもどうすれば自転車を運転できるのかがわからなくなりました。

そんな女性を古くからの知り合いである他の女性たちが支えていました。彼女はお茶摘みに来るのが何よりの楽しみだろうと言うのです。いろいろな人たちが、同じ話に何度も相槌を打ってやり、昼休みが来ると一緒に帰ろうと声をかけていました。

だから彼女はかなり症状が進行するまでお茶摘みに来ることができました。そんな彼女でしたが、お茶摘みの腕は最後まで衰えることはありませんでした。お茶摘みでは1人1つのカゴを持ち、摘んだ茶葉を入れていきます。細くて柔らかいお茶の新芽では、なかなかカゴはいっぱいになりません。しかし、女性は同じ話を繰り返しながらも、手は素早く動き続け、カゴはすぐにいっぱいになっていたのです。

何かを身に着けている人は幸せだと思う

女性は最後まで誰かの役に立ち続けました。自分のやっていることが誰かの役に立つ、これは人間にとってとても幸せなことではないでしょうか。私は女性の鮮やかなお茶摘みを見て、自分がもし認知症になったとき、一体何が残るのかと考えてしまいました。

女性は何度も同じ話をしており、それは大半が過去に対する後悔や怒りであったようです。農作業に明け暮れて、子どもを1人しか持てなかった女性。彼女は今いる子どもに兄弟を作ってやりたかったが、そんなことよりも仕事をしろと夫に言われてしまったそうです。多分、それは繰り返し話さずににはいられない、辛い記憶だったのでしょう。

しかし、彼女には認知症になっても衰えることのない手の技がありました。それで最後まで人の役に立つことができたのです。一方、私には女性ほどの辛い記憶はありませんが、彼女ほどの技はありません。人生の最後に、私の拠り所になるようなものは何もないかもしれない、そう考えると、どちらが幸せなのでしょうか。

私にも拠り所になるものができるか?

私が女性と同じくらいの年齢になるには、あと20年ほどかかります。その間に私に拠り所になるような何かができるでしょうか。できれば良いな~、と思いますが、こればかりは自分で確かめるわけにはいきませんから、考えても仕方がないのかもしれません。

女性はお茶摘みで顔を合わせなくなってすぐに施設に入り、その後亡くなりました。直接の付き合いが合ったわけではないのに、忘れられない人となりました。

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