日本のお盆はこれからどうなるのか

季節

我が家ではもう先月にお盆が終わってしまいましたが、今日8月15日でやっとお盆が終わってホッとできる人もいることでしょう。いろいろな人のブログを読んでいると、お盆の準備に奔走した人の記事が目に付きました。

我が家の場合

夫の祖母と敷地内同居を始めた1994年当地では、まだお盆やお彼岸には親戚との行き来が盛んに行われていました。親戚といっても、私が考えているような近いものではなく、お祖父さん同士が兄弟だったような遠い関係でした。それでも近所だから付き合いを大切にしている、といった感じでした。

それまで私はお盆の意味などろくに考えたこともありませんでしたから、夫の祖母がやっていることがすべてで、それが正しい日本のお盆だと思っていました。

しかし、数年経って落ち着いてくると、同じお盆でも地域によってずいぶんと違うことに気が付きました。私が住んでいる市では、地区が違えばお盆の日程が違います。それはかつて市内に住んでいる人は農家が多く、作っている作物によって暇になる時期が違ったことの名残だそうです。

仕事が一段落したところで、お盆をやったわけです。先祖の霊の迎え方や送り方もそれぞれ違いますから、これが正しいお盆だと目くじらを立てなくても良さそうです。

お盆も変わって当然だと思う

今どき、お盆を昔ながらのやり方で行おうという人は真面目な人が多いのでしょう。女性なら夫の家のお盆を正式に継承してやっていきたいと考えるのも無理はありません。

それでも、そもそも日本でお盆の正しい行い方などは統一されていないのですから、その時々で自分にできることを心を込めて行う気持ちでいればよいのだと思います。我が家でもお盆はずいぶんと変わりました。

我が家では夫の両親が早く亡くなったため、ずっと祖母が中心になってお盆を行ってきました。祖母が亡くなると私たち夫婦があとを引き継いだわけです。

祖母の付き合っていた人というのは、私たちの代のことをほとんど知りません。祖母とは話ができても、私や夫とは話ができないのです。そのような人とは、お盆とお彼岸はお互い様にしましょう、と話が付きました。

お互い様にしましょう、つまり行き来は止めることになったのです。冷たいように感じるかもしれませんが、これが時代に合わせて方法を変えるということです。現在、お盆とお彼岸に行き来がある家はわずかに1件だけになりました。それも、コロナでここ2年途絶えていますが、私はこれで良いのだと思っています。

今、行き来のある家とも次の代になれば、付き合いはなくなるでしょう。これが自然淘汰というものではないでしょうか。

お盆はどうしても必要?

なぜお盆が必要なのかと考えると、亡くなった人のことを生きている人間が偲ぶためではないでしょうか。家を出た息子や娘が亡くなった人にお線香をあげるために、遠くからでも帰ってくる、これがお盆の一番の目的でしょう。

そして、次の目的がお墓のメンテナンスです。決まった行事があって、それまでにキレイにしようと思わなければ、お墓に行こうと言う気には中々なれません。特に夏の墓場は草が生い茂ります。お盆がなければ暑い中、誰もわざわざ墓場に行かないのではないでしょうか。

しかし、昔ながらのお墓のメンテナンスには体力と時間が必要です。私も年々墓掃除が苦痛になってきました。同じことを考えている人がたくさんいるようで、最近は最初からお墓を買わない人もいるようです。

樹木葬などを利用すれば、後のメンテナンスは不要です。亡き人を偲ぶという目的が残りますが、それは墓や仏壇、盆棚がなくてもできることです。そう考えると、お盆にこだわりすぎる必要がまったくないことがわかります。

これからのお盆

今お盆の準備に苦労されている方は、お盆も変わるものだと知っていただきたいです。地域によっても時代によっても変わることがわかっていれば、誰かが違うことをしても、何かがうまくいかなくても、目くじらを立てることがなくなるのではないでしょうか。

そしていつかは教わりながらお盆の手伝いをしていた人が中心となる日がきます。そのときには、その人のやりやすいようにシステム(我が家のように行き来をする家を絞り込んだり、盆棚は作らないなど)を変えたら良いと思います。

ただ、お盆という名前だけは夏の長い連休の名前として、これからも残るでしょう。遠い実家に帰る日、久しぶりに親族が顔を合わせる日として、お盆という名前が残れば、ご先祖様も満足するのではないでしょうか。

ご先祖様が一番に望んでいるのは、子孫が仲良く幸せに過ごすことだと思うのです。

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