お盆の入の日に思う・これからのお墓のこと『やはりお墓を維持するのは大変!』

お盆 考える タブー

昨日は8月13日。昨日からお盆という方も多いでしょう。我が家のお盆は7月23日から25日まででしたが、そのときはいろいろとやることがあるため、私の実家のお墓参りに行くのは、いつも8月のお盆です。今回も夫と一緒に行ってきました。

昨日は台風を意識した方が多かったのでしょうか。霊園はとても混んでいて、駐車場もいっぱいでした。これだけの人がいると思うと、早くお参りしないと次の人に迷惑がかかってしまうと何だか焦ってしまいました。

日本のお墓はまだまだ安泰?

まだ新しい墓石が並ぶ霊園にたくさんの人がいると、墓じまいしたいとかお墓は要らないといった意見が多いというのがとても信じられません。親子でお参りに来ている人も多くて、これからも日本のお墓は安泰ではないかと思われました。

しかし、ある程度のまとまった金額の出費をして、真新しい霊園に真新しい墓石を建てるような人たちは、きっとこれからお墓の面倒を見る気満々なのに違いありません。古い我が家の墓と比べると、私の実家の墓がある霊園は現代的で明るく、家族連れが多い様子は、まるでショッピングモールのように思えるのでした。

とにかく実家の墓に行くと、いつも混んでいるからという理由で急いで花と線香を備え、急いで帰ってきます。しみじみ父や母を思うことなどほとんどありません。お墓に行っても、亡くなった人を思えないのならそれはあまり良いことではないのではないでしょうか。

古い墓の方が、亡くなった人のことを思う時間が長い?

たとえ自宅にいても、亡くなった人のことを思って心を込めて手を合わせることができれば、その方がよほど良いと思います。しかし、さあ、亡くなった人のことを思おうとしても、なかなかできないような気もします。すると、我が家の墓のように草ぼうぼうで汚れやすいのをいちいちキレイにする方が良いのかもしれません。

キレイにしているうちに、どうしても考えるのは亡くなった人のことになるからです。実家の墓は霊園で管理してくれるため、草取りなどの手間はほとんどかかりません。だから、余計に滞在時間が短くなり、亡くなった人のことを思う時間もなくなるのでしょう。

しかし、墓をキレイに整えるのは思ったよりも重労働です。いつまでこんなことをしなくてはならないの?と思うことも度々あります。亡くなった人はきっと亡くなった時点で終わりです。後に残された人が何を思っても、それは残された人自体の問題ではないでしょうか。

墓のことと、亡くなった人との向き合い方を考えるのは同じ

現に私は亡くなった人たちのことを今はほとんど思い出しません。夫の祖母も、祖母の姉も私の父も母ももう、記憶が薄らいできた感じです。それなのに義務みたいに墓には行くっていうのが、どうも納得できないです(これは順番どおりに亡くなったことが大きいと思います。もし、私よりも若い誰かが亡くなったらもっと違う感情があるかもしれません)。

私が亡くなった後、娘たちが墓参りしようがしなかろうが、別に何とも思いません。だって、私はもう亡くなっているわけですから、わかりません。お墓のことを考えるのは、自分と亡くなった人の向き合い方を考えるのと同じことです。

娘たちが結婚してもしなくても、我が家の墓はこれから先、無縁仏になる可能性が大きいです。そうしたら、近くに墓がある人に迷惑をかけることになります(草ぼうぼうのまま、汚れたままでは墓場全体の雰囲気を悪くします)。それなら墓がなくても、亡くなった人と向き合えるようにしておいた方が自分も楽だし、人に迷惑をかけずに済みます。だから、娘たちにも私のように亡くなったらそれでお終い、後は自分の問題だと思っていて欲しいです。

人によっては私のような考えを薄情だと思うかもしれません。しかし、お墓って建ててから後が長いんですよ。私は結婚してからお墓の面倒を見るようになりましたが、それでももう30年以上です。もし、この面倒を見ないでも良い方法があるとしたら、そちらにとても心が惹かれるのです。

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