神社の感謝祭に参列した夫ですが、実際の神事には時間がかからず30分程度で帰ってきました。本当にあっという間で帰ってきたので、あれだけ大騒ぎをしたのに…と拍子抜けです。
労は大きくて実りが少ないものなのか…
神社に行くまでの苦労は大きかったのに、実際のお祭りはほんの短時間。何だかいろいろな人生の苦労を象徴しているように感じられました。
このような神事に参列した場合、御神酒などをいただいて帰ってくるのですが、今日夫は手ぶらで帰ってきました。御神酒とタオルをセットにしたものが、たくさん並んでいたけどまさか自分から「これいただけるんですか?」とは聞けないと夫は言います。
しかし、今回夫は囃子連の会長代理として出席しました。手ぶらで帰ってくることはありえません。大体、他の参列者がいただけるものを夫だけがいただけないことはないでしょう。これは誰かが我が家まで届けなくてはならないのではないか?と思っていたら、その通りでした。
ほろ酔い気分の近所の年配男性が、こんな言葉とともにわざわざ御神酒とタオルを届けてくれたのです。
いやぁ~、旦那さんが忘れていっちゃったみたいですよ。
ちょうだいちょうだい、と欲しがるのも困るでしょうが、今回は夫の遠慮が誰かの仕事を増やしてしまったことになります。遠慮深いのは本来美点のはずですが、それが困ったことにつながるのも、人生のいろいろな苦労を象徴しているようだと、再び深く実感しました。
こんな日もある
ちなみに夫はマスクなしで神事に参列する勇気はなかったようです。そしてもう神主さんが来ていたので、神事が始まってしまうと焦っていたと言っていました(だから私にはマスクを持ってこいだの、袋から出せだのと騒いだのでしょう)。本来、神事の後には直会があります。神様に食事を捧げるという名目で近隣のおじさんたちが飲み食いを楽しむわけですが、コロナのせいでそれもまだありません。
私も大変だと思いましたが、夫にも何も良いことがなかったわけです。これは長女がデザインフェスタに参加したのとの大きな違いです。まあ、こんな日もあります。それも人生です。また何か良いこともある、と思います。苦労があるから人生が大変なのかと思っていましたが、苦労があっても報われるときがあれば良いのかもしれません。
神様はいろいろと考えろとおしゃっているのかもしれません。大げさかな?大げさですね。