冷凍餃子問題

生活

ある家庭で、疲れている妻が冷凍食品の餃子を焼いて食卓に載せたところ、夫が手抜きと言ったそうです。納得できなかった妻の気持ちがSNSでの発言となり、多くの人が興味を持ちました。

誰にでも休む権利がある

自分が食卓に載せたものに文句を言われたら、決して愉快な気持ちにはなりません。我が家では味付けのことでケンカになることも度々あります。ましてや手抜きだとバッサリと切り捨てられたらと考えると、私まで腹がたってきます。

冷凍餃子を食卓に載せるのには、それなりの理由があったのだと思います。例えば疲れているときです。

食事の支度を担当している人には、休日がありません。家庭の中で家族の誰もが、1日何も食べない日はまずないでしょう。食事の支度を担当する人は、たとえ自分が作らなくても、今日は何を食卓に載せるかを考え続けなくてはなりません。

そんな中で疲れを溜めないようにするには、自分から積極的に休みを取らなくてはならないのです。食事の支度を担当する人が疲れを溜め込み過ぎて、体調を崩したりしたら、それこそ家族に迷惑がかかりますから、休みを取ることは家族のためでもあります。

そして、人には誰でも人間的な生活をする権利があると私は思います。たとえ外で働いて収入を得ていなくても、家の中の仕事で疲れたら、休む権利はあるはずです。

食事の支度をする人に思いやりを

だから冷凍餃子が手抜きだと言うならそれでも良いのです。しかし、食事の支度を担当する人には手抜きをする権利があります。食事を出されて食べる人は、その権利を認めるべきです。

冷凍餃子を見た夫は妻に対してかける言葉を間違えました。本当は手抜きだと言わずにこう言えば良かったのではないでしょうか。

食事の支度が大変だったの?疲れているんじゃない?今日は俺が後片付けするから、ゆっくり休んでいてよ。

人は誰でも料理が得意だとは限りません。いつも元気でいられるとは限りません。特に小さな子どもの面倒を見ていると、思った以上に疲れます。そんないろいろなことを認めないと、家族としての長い生活を乗り越えて行けないのではないでしょうか。

また料理が大好き、得意という人でも餃子をいちいち包む作業が嫌という人もいるでしょう。だから手作りの餃子と冷凍餃子、両方あって良いのだと思います。

どこからが手作り?

それに手作りと言っても、幅があります。

餃子を手作りしていると言っている人も、皮はスーパーで買うことが多いのではないでしょうか。でも、皮も手作りしている人も世の中にはいるのです。そのうちに皮を買っているから、その餃子は手抜きだと言う人も出てきそうで心配です。

私は、手作りのこだわっても意味がないように思います。

私は子ども時代、餃子を包むのが大切な手伝いでした。その延長線で今でも自分で餃子を包んで焼いています。しかし皮は作りません。何回か作って、とてもやっていられない、と実感しました。

冷凍餃子は大切な存在

その人ができる範囲でやれば良いのが毎日の生活です。自分の身の丈以上のことをしようと思っても続きません。その時の自分にベストなものを選んで、やっていくしかないのです。

冷凍餃子もそんな選択肢の1つだと思います。手作りも冷凍もどちらも私は好きですが、2つはまったく違った存在だと感じます。

みんなちがってみんないい、って金子みすゞさん(詩人)が言っていましたよね。何でも美味しく食べて、その後が健康なら問題ありません。冷凍の餃子などをうまく使って、世の中の人がみんな休むことを大切にして欲しいです。

それに自分が作っていないものを食べるのは、よい気分転換になります。長い人生、食事の心配をしない日があっても良いじゃないかと思います。

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