自分の中にも差別があることに気付いた

生活

森喜朗さんがとうとう東京五輪組織委員会の会長を辞めることになりました。当初は後任が川淵三郎さんだと報道されました。

川淵さん自身も、森さんから直接要請された、これは引き受けるしかないと、力強く返答している様子がテレビで報道されました。あれを見て皆さんはどう感じたでしょうか。

男というだけでプラスなのか

私は川淵さんのことを立派だと思いました。もうにっちもさっちも行かない状態になっているオリンピックの責任者になって、引っ張っていかなくてはならない状況はまさに火中の栗を拾うのと同じだと感じました。

最初から責任者だったならともかく、土壇場で森さんの尻拭いをしなくてはならないなんて、普通の人なら絶対に嫌でしょう。それを断るという選択肢はないと引き受ける姿は、私の目には立派だと映ったのです。そしてその立派だという想いは私の中でこんな言葉になりました。

「男らしい!男の中の男だ」

思ってしまってから、自分で気が付きました。これはアウトだ。これでは森さんと同じだとも思いました。私は現在56歳ですが、自分の中で男ということが単なる性ではなく、プラスの要素として根付いているようです。

ジェンダーを教え込まれていた私たち

私が幼かった頃、弟は泣き虫ですぐに涙をこぼしていました。それを度々母からは女の腐ったようなやつ、と言われていました。私たちの中で女であるとは、陰湿ですぐに泣いて、無駄なおしゃべりをしていることと同じ意味がありました。

反対に男らしいとは、裏表がなく、人前でメソメソ泣かず、必要なことしかしゃべらないことを表していたのです。ジェンダー問題がいくら表面化して、それがいけないこと、不幸なことだと気がついても、私たちの思い込みはなかなか消えません。子どものときに覚えたこと、身についたことはリセットするまでに時間がかかるのだと思います。

世の中のすべての差別が、これは差別です、アウトですよと言われても、自分の中ですぐに根付かないのではないでしょうか。長い時間をかけて教育されて根付いた差別はそれ以上の時間をかけないと、解消できないと思います。

差別をなくすためには焦らないで欲しい

森さんは差別的な発言をして、制裁を受けましたが、それだけでは森さんの中では何が悪くて制裁を受けたのかがわからないでしょう。森さんは差別を解消するための教育を受けていないのですから。

森さんだけを表舞台から引っ込めて、それで日本はジェンダー問題を解決した気にならないか心配です。オリンピックはいろいろな国の選手が一堂に会して作り上げるものですから、差別があってはなりません。しかし、だからといって差別を隠して、なかったことにするのはもっといけないはずです。

どうか、あらゆる差別をなくすためには、焦らずに教育を充実させて下さい。多様性を認める、人をジェンダーで縛らないと言っても、そもそも自分とは別の存在があることすら気付いていない人もいます。まずは、知ることから始め、何がいけないのかを自分でわからないと決して何も解決しないと思います。

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