埼玉県は東京都と運命共同体

団地 コロナ

私は人生のほとんどを埼玉県で過ごしてきました。10年ほど県外にいましたが、それも東京都国立市だったので、今考えるとほとんど埼玉県と変わりはありませんでした。

広島と新潟が出会って埼玉に住む

私の父は広島県出身で、母は新潟県の出身でした。2人は進学や就職のために上京し、出会って結婚しました。結婚10年を迎えるころ、母はそろそろ持ち家を、と考えたのです。家賃が手頃な公団住宅も考えたのですが、当時は入居はくじに当たらないとできない状態で、我が家は何度くじを引いても外れていました。

母が持ち家をと考えたのは、昭和49年のことでした。当時、すでに国立は人気の住宅街になっていました。持ち家を手に入れるのは難しかったので、母が考えたのが埼玉県に家を持つことでした。それまで埼玉県は農家が多い、のんびりした場所だったようですが、東京で働きたいと言う人たちが、家を構えるための土地として急に開発されるようになったのでした。

東京あってこその埼玉

私たち一家が引っ越したのは、中規模マンションでした(名前はマンションでしたが、実情は団地でした)。建物は32棟、中にはスーパーと小さな商店街があり、小学校、中学校は徒歩10分程度でした。住人のほとんどが東京に通勤するサラリーマンとその家族だったようです。

通勤時間は決して短くありませんでした。私の父は2時間以上かけて通勤していましたが、同じような人はたくさんいました。こんなことが埼玉のあちこちで起こり、埼玉県は東京のベッドタウンになりました。東京があったからこそ、埼玉の今があります。埼玉に昔から住んでいる人たちには不愉快なこともあったことでしょう。

私が今住んでいる地域のお年寄りたちは、度々こんなことを口にしていました。

よそ者がたくさん入って来たころから、ここら辺はおかしくなったんだよ。昔は良いところだったのにな~。

こんなことを言われたのは、決して私だけではないと思います。しかし、不愉快なことがあったとしても、よそ者がたくさん入って来たからこそ、住宅開発が進み、利益を得た人もたくさんいたわけです。お互い様です。

東京が助かれば、埼玉も

今、また新型コロナウイルスの感染者が埼玉県内で増えています。県知事は都内への不要不急の外出は控えるようにと言っています。県民の健康と安全を守らなくてはならない県知事の発言として、これは妥当ですが、私は何を今更という感じがしてしまいます。

東京があるから埼玉があったのだ、東京が病めば埼玉が止むのは当然、こんな思いがどうしても消せません。東京に行かないでと言われても、仕事がある人はどうしようもありませんし、東京との境に住んでいる埼玉県民はどうしたら良いのでしょうか。

私は20代のころ、学校も職場も東京都内でした。それが当然だと思っていたのです。行きたい学校は都内にあったし、アルバイトの時給だって高かったです。埼玉から東京に移動することは当然のことでした。

これから先は、こうしたことは少なくなるかもしれません。でも、今はすでに東京に行かないとならない理由を持っている人たちが存在します。この人たちすべてに通学や通勤を止めるように強制するわけにはいかないでしょう。

まずは東京都内の感染者を減らすことが大切だと思います。東京が助かれば、埼玉も息を吹き返すのではないでしょうか。埼玉のためにも東京にはがんばって欲しいです。

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