北京オリンピックのスキージャンプ混合に出場した高梨沙羅選手が、スーツの規定違反で失格になってしまいました。100mを超える素晴らしいジャンプの後だっただけに、とても残念でした。悲しむ彼女の姿を見ているだけで辛くなったし、人間の運ってなんだろうと、考えさせられました。
運が良い?報われない高梨選手
10代の頃からその才能で注目を浴び続けてきた高梨選手。ワールドカップでは男女通算でもっとも多い61勝をあげており、オリンピックにも今回の北京を含めて3度出場しています。可愛らしい容姿とあふれる才能を見ていると、彼女はとても恵まれていると感じるし、才能を発揮する場を与えられたのは幸運の証拠のはずです。
しかし、先日の失格に関してはとても彼女に運があるとは思えませんでした。同じスーツで他の競技にも望んだ高梨選手ですが、そのときには失格になっていないのはなぜか疑問が残ります。また、ジャンプ混合では高梨選手を含めて5選手が失格になっていますが、これは多すぎるのではないでしょうか。
規定の方に問題がありはしないのか、などと思えてきますが、何分私はスポーツ全般に対して素人なので、あまり考えても仕方がないようです。
私はスポーツ選手のオリンピックに対する気持ちを本当に理解できませんが、その価値の大きさは想像ができます。多分、一番の大舞台なのでしょう。だから、プレッシャーもかかるだろうし、緊張もするはずです。きっと本来の実力を出しきれずに、涙をのんだ選手も大勢いたのではないでしょうか。
ただ、高梨選手の場合はあまりにも報われていないように感じます。最初に出場したソチオリンピックでは4位、平昌では銅メダルだったために、次はその上をと考えていたはずです。そして彼女が力を出し切ったと思えた今年のジャンプ、誰もが金メダル、と考えたその先に待っていたのは失格という結末でした。
一体彼女は運が良いのか悪いのか、考えれば考えるほどわからなくなります。そもそも運が悪ければ、あれだけの才能が花開くことはなく、オリンピックに出場することもなかったでしょう。
失格は余波なのか
もし高梨選手が世界を見なかったら、もっと狭い世界での活躍で満足していたら、涙を流すこともなかったのではないかと思います。広い世界に羽ばたこうとした結果が今回の失格騒ぎではないでしょうか。
つまり、彼女が北京でジャンプをして、その結果が失格になったことは、運の良い悪いを越えたことです。強いて言うなら、その失格は彼女が羽ばたこうとした余波のようなものなのでしょう。大きな力が働こうとするとき、それまでの世界が壊れないように、もっと大きな力がそれを抑えようとするのかもしれません。
現在、失格判定により高梨選手はどん底にいるように思われますが、きっと彼女ならそこから上がってくることができるでしょう。
深く沈み込んだ分、底を蹴って上がる力はきっと強いはずです。どこまで上がれるのか、世界中の人々に見せて欲しいです。私も運の良い悪いを越えた人間の強さを見てみたいと思います。
復活した姿を見せて欲しい
報道によれば高梨選手は今後の競技人生について、考えなくてはならないと言っていたようですが、それを考えるのはまだ先のことです。彼女は謝罪文を自ら発信していますが、その気持ちがあるなら、誰もがうなるジャンプを見せることが謝罪文の何倍も効果を発揮するでしょう。
復活して大きくジャンプをする高梨選手に、きっと多くの人が勇気づけられるはずです。たとえ高梨選手本人の手によってでも、その機会が奪われることはあってはなりません。しかし、今はただゆっくり休んで欲しい、誰もがそう願っていると思います。