次女がしょっちゅう体調不良を訴えるのに、私は食生活を見直そうとはあまり思いません。一度このブログでもプロテインと鉄分が足りないのではないかとのご指摘を頂いたことがありましたが、結局次女は鉄分が豊富なもので好きなのはプルーンとひじきくらい。医者で処方された鉄剤も飲もうとしません(お腹を壊すそうです)。
強制されても食生活は改善できないと思う
入院でもして、出された食事を食べる以外にない状態だったら、食生活の改善もできるのかもしれません。しかし、自宅にいてある程度自由に生活していると、身体に良いからと自分の意に染まない食事をできるとは思えません。
もともと昔から私は娘たちの偏食が気になっても、「これを食べてみな」とか「身体にいいから」とはあまり言いませんでした。いや、言いたくなかったのが正直なところです。これは私の子ども時代の経験によるものです。
私が14歳のときに、実家の父が脳出血のひどい発作を起こして、生死の境をさまよいました。それ以前から父は高血圧では母それを改善しようと必死でした。薄味を嫌う父に何とか塩分控えめの食生活に慣れてもらおうとしていたようです。
母の行った食の改善とは
結局その甲斐もなく、父は倒れてしまいましたが、それで母の気持ちがある方向に向いてしまいます。それは、私と弟の健康だけは守らなくてはならないとの思いでした。母は肉食を禁じ、野菜中心の食生活を送ると宣言したのです(どうやら父の食生活の正反対を行こうとしたらしいです)。
母の気持ちが収まるまで、食事に肉が出ることはほとんどありませんでした。私には毎朝、皿に山盛りの野菜炒めが出ました。それは味付けがほとんどしていなくて、タンパク質類(肉とかハムとか)が入っていないため、私にはとても食べにくいものでしたが、母はそれが私の体質を改善すると信じて疑わなかったのです。
結局、母の食生活の改善は、私には良い結果を残しませんでした。野菜を食べることは別に悪いことではないので、悪影響があったわけではありません。しかし、私の心には食生活の改善とうんざりした気持ち、相手を胡散臭く思う気持ちとが結びついて、強く残ってしまいました。
結局母自身も野菜中心の食生活を続けることができず、いつしか情熱も下火になったのでしょう。いつの間にか実家の食生活は父が倒れる前とそれほど変わりがなくなりました。家族の誰も、健康にも不健康にもならない、つまり母の改善で誰にも変化はなかったのです。
その後の母は…
母は60代に入ってから、コレステロール値が高いため、再び自分の食べるものに気を配るようになりました。
これは母が自分の食べるものだけに限定していたため、私が文句を言うことではないと思い、黙って見ていましたが、かなり疑問を感じるものでした。母は卵の黄身や鶏肉の皮を捨てていたのです。
もったいないと思いましたが(それならもともと卵や鶏肉を食べなければ良いとすら思いました)、母は「健康には変えられない、黄身や鶏肉の皮なんていくらでもないんだから」と言っていましたが、結局コレステロール値が下がることはありませんでした。
母は極端に脳梗塞になることを恐れており、コレステロール値を下げようと必死になっていたようですが、結局別の病気で亡くなりました。亡くなったのは79歳、少し早いような気もしましたが、極端に早死ではないと思います。
結局改善なんてできないのでは?
食生活の改善って、結局何なのでしょう。自分でやることは何だかズレてしまうようですし、かと言って専門家によって徹底的に行われるそれは、私たちの心の負担になるような気がします。
最終的に何でも好きなものをほどほどに食べるのが一番かな、と思っていますが、同じものばかりをたくさん食べることだけは避けています。それが悪かったときに、ダメージが大きくなると思うからです。私以外の家族がどう思っているかはわかりませんし、どんな食生活になるかはもう私の責任ではないと思っています。
美味しいからと食卓に出しても、娘たちは「…」という反応のことが多いです。無理に口に放り込んでも栄養にはならないと思うので、仕方がないですね。