先日私より少し年上の女性のブログを読んでいたら、小学生の頃のことをほとんど覚えていないと書かれていました。
その方はネガティブなことなら少し覚えているが、後はほとんど覚えていないため、よほど自分の小学校での生活は楽しくなかったのだろうか、とおっしゃっていました(多分)。
小学生時代で覚えていること
それで私も同じようなものなのかと思いを巡らしてみました。そうしたら、何とも言いようのない思い出がいくつか私の中に残っていることを発見しました。小学校4年生のときの担任の男性教師の話はよく覚えています。
授業中に学生時代のアルバイトの話をしてくれたのですが、その内容が遺体安置所の付き添いで一晩中、見守りをしたということです。
当時は、大学に進学すると変わったバイトができるんだな〜、などと思っただけでしたが、今こんな話をしても大丈夫なのでしょうか。
弟も同じ男性教師に教わりましたが、何かにつけて「お姉さん(私のこと)は大人しかったのに、お前は…」と比べられたので嫌だったと言っていました。
しかし男性教師は私には、外に行って遊べと口うるさかったです。今でもそうですが、当時から運動音痴だった私は外で遊べと言われても、何をして良いかわからなかったのです。
今、買い物に行くのすら面倒がっている私を見たら、自分の教育が実っていないことに、男性教師はがっかりするかもしれません。それとも「ああ、やっぱり」と納得されるでしょうか。
苗字が変わったことも印象的だった!
私の担任だった年に、男性教師は結婚。苗字が変わったこともよく覚えています。お婿に行ったなどと、かなり話題になっていましたが(当時は男性の苗字が変わる、イコールお婿に行ったと思われることが多かったようです)、今思うと勇気のある決断だったと思います。
本当のところはどうだったのか、確かめたいような気もします。当時の私は運動も勉強もパッとしませんでした。
興味を持つのは、母がくだらないと怒ることばかりでした(私は口笛を吹くことに熱中して、毎日うるさがられていました。おばさんになった今も口笛はよく吹いています)。男性教師にも決して可愛がられていたわけではありません。
それなのに47年前のことをこんなに覚えているのは、自分でも意外です。このどうでも良いことばかりを覚えているのも、母は気に入らなかったようですが…しかし、こんなどうでも良いことが意外に人間形成に関係が深いのかもしれないと思います。
影響を受けた女性教師の言葉
小学6年生のときは女性教師が担任になりました。彼女は室内で本ばかり読んでいる私のことをまったく否定しませんでした。
それどころか私の話は面白いと、たびたびお喋りに付き合ってくれました。そして、こんなことまで言ってくれたのです。
本を読むのが好きな人は、国語の先生になるといいよ。そういう人が行く学校もあるんだよ。
それまで教師に褒められた経験がなかったため、女性教師の言葉は私の大きな励みになりました。女性教師の一言で、今まで誰も褒めてくれなかったけれど、私にはもしかするととても良いところがあるのかもしれないと思えるようになったのです。
女性教師の一言は確かに私の人生を変えました。同じことを家族に言われても、決して人生を変えるほどの力は持たなかったでしょう。
これで良かった?
1964年生まれの私はその後ずっとパッとしない成績のままでしたが、奨学金まで借りて大学に進学しました。もちろん進んだのは文学部でした。当時、女の子はよほど成績が良くなければ、4年制の大学には進学しませんでした(婚期が遅れると言われていた)から、母には随分と反対されました。
私の実家では私が中学生のときに父が病で倒れて働けなくなっており、母の反対はもっともなことでした。それでも私がそのとき、自分の意志を通すことができたのは、女性教師の一言のおかげだったと思います。確実に小学校時代の思い出の一つひとつが私を形成してくれたわけです。
私の子ども時代に、良いことなんてなかったと思っていましたが、こうしてみると意外に悪くなかったようです。私のことを認め、気にかけてくれていた人もたくさんいたのも、今ならよく理解できます。今更あのときはありがとうございました、と言う機会もないのが残念ですが。
ちなみに大学で今の夫と知り合いました。良かったのか悪かったのか、ちょっとわからないです。