先日新聞を読んでいたら、「気づいたら少数派」という記事が掲載されていました。気づいたら自分が少数派になっていたことについて、読者が自らの体験談を語っていましたが、私にも心当たりがあることばかりでした。
メイクしないのは非常識?
新聞に掲載されていたメイクをしない、未だにガラケーを使っていることなどは、今の私にそのまま当てはまります。今ではメイクはする自由とともにしない自由が尊重されるようになりましたが、かつては職場でメイクをしないのは非常識という考えが広く行き渡っていたように思います。
私はメイクが得意ではなく、しっかりメイクをすると出来が悪く、ナチュラルなメイクをすると素顔と代わり映えがしなませんでした。せっかくお金と時間をかけてメイクをするのに、仕上がりが不満足ではムダだと考えた私は、いつしかメイクをしないのが当たり前になりました。
母親はもちろん、上司から注意を受けたこともありましたし、専業主婦になってからも、素顔で外を歩けるなんてずいぶん自信があるのね~、などと嫌味とも受け取れる言葉をかけられたりもしました。それをのらりくらりとかわしているうちに、周りの人たちが私の素顔に慣れてしまったようです。
未だにガラケーは非常識?
携帯電話についてもかつて一緒にPTAの役員をした人たちからは、LINEを利用すると、連絡がとても楽になるという理由でスマホを勧められました。1人だけガラケーだと連絡するのが面倒だともいわれました。急いで連絡する必要があった役員をしているときならともかく、今は急ぎの用事などはまずありません。そんなにも忙しい人たちに、私は無理して連絡を取ってもらわなくてもよいと思い始めました。
あちこちの会社のサービスプランを見比べて、なるべくお得なものを選ぶというのも、私には面倒だったので、携帯電話そのものを持たない選択をしました(当時使っていたガラケーが、寿命を迎えていたことも影響しています)。
今までの友人知人には、携帯電話での連絡だったので、連絡が取れなくなることも少し頭をよぎりましたが、数年に1度あるかないかの連絡のために無理をして携帯電話を持っているよりも、解約して身も心もスッキリしたかったのです(毎月いくらかかっている、などと考えることがストレスになっていました)。できる限りの人たちに、携帯電話を解約するから、用事があるなら自宅の固定電話かパソコンのメールでお願いしますという内容のメールを送って、本当に携帯電話を解約してから、今年の3月でまる2年になります。
少数派になったから、わかったこと
メイクも携帯電話も、どちらも大したことではありません。その人の自由にやりたいようにしていればよいはずです。 どちらもないけれど、私は元気に生きています。
でも、この2つのことから私は日本人同士の間では同調圧力が強いということを、身を持って学びました。そして私自身も実は強い圧力を他人にかけていたのかもしれない、と反省しています。
子どもや男性がメイクに興味を持ったら、私は黙って見守ることはできず、止めたかもしれません。かつて役員をしたときに、携帯電話を持っていない人に、(メールができないため)個別に電話連絡をするのを面倒だと感じていました。
偏見を持たず、平等な態度で生きていくのは、私が考えているよりも、もっと大変なことだということがわかっただけでも、私はよかったと思っています。少数派になっていなかったら、自分を反省することはなかったでしょう。
少数派になった方がよい?
世の中にはもっとシリアスな状況の少数派の人たちが存在しています。その人たちの本当の苦しみをわかってあげることは無理でも、自分が少数派になった経験から想像することはできるかもしれません。みんながお互いに想像することで、生きていきやすい世の中が作れるかもしれない、と考えると、この程度の少数派にはなっておくものだと思います。