夫の祖母が亡くなった後

家族

夫の祖母が亡くなったのは、1999年の10月でした。祖母は婿を取って家を継いだため、自分が生まれ育った家にずっと住んでいました。築何年なのかは、ハッキリとしませんでしたが、おそらく100年以上はたっている家に住み、それを自慢にしていました。

祖母と一緒に生きた家

私たち夫婦が一緒に住むことになったとき、最初は親戚から2世帯同居住宅を建てたらどうか、という意見が出ました。でも祖母は今の家が一番よいから、といって耳を貸しませんでした。祖母は決して悪い人ではありませんでしたが、とても芯の強い人で一度いい出したら、後には引きません(それが原因で、夫の母とも折り合いがよくありませんでした)。

同じ敷地内に住むとしても、別棟なら少しはうまく行くのではないかという意見も出て、祖母の住んでいる家はそのままに、私たちは敷地の隅に小さな家を建てるということで話が落ち着いたのです。

夫の家では長男であった夫の父が30代という若さで事故死しているため、家にはほとんど手を入れていませんでした。祖母が生きている頃から、床が腐っている、雨漏りがしているなどのほころび(こういうことは家の端から起きたため、祖母がいる部屋に支障はでませんでした)が出て来てはいました。それでも家は機能を失わず、祖母は人生のほとんどを自分が生まれた家で過ごすことができました。

祖母と一緒に死んだ家

祖母が亡くなってから、家の老化(こういうしかないような現象でした)は急速に進みました。家の中は、窓を締め切っているはずなのに、どこからかセミやハチが入り込み、ホコリだけでなく土が積もっていました。祖母がいるときには、何とも思わなかった家の中の音や揺れがとても気になるようになり、私は1人で祖母の家に入るのが怖い、とまで思うようになりました。

耐えきれずに祖母の家にあった仏壇を我が家に移すと、さらに老化は進み、結局祖母が亡くなってから15年ほどで自慢の家は取り壊されることになりました。祖母と祖母の仏壇を守った家は、役目を終えたと思ったのかもしれません。

人が住むから、家には不用品が溜まったり、汚れたりしますが、それは家が生きて新陳代謝をしているからです。人が住まなくなった家が朽ちるのは、家が死ぬことです。これからは人も家も生きていることを喜んで、掃除や片付けをしよう、祖母の家を見ていて私は、こんなことを考えました。

祖母が亡くなってからわかったこと

祖母が亡くなってから、もう1つ驚いたのは、敷地内に雑草がドンドン生えるようになったことです。祖母は亡くなった当時、もう88歳でしたからそれほど草むしりをしていた様子は私の記憶にはありません。でも祖母が亡くなったのと同時に、敷地内のあちらコチラから雑草が生えるようになりました。祖母はさり気なくいろいろな場所の草をむしってくれていたのでしょう。

私たちが(つまり昭和の戦後生まれ)が草むしりをしようとすると、大事になってしまいますが、明治生まれの祖母たちにとって、草むしりは何かのついでにできる仕事だったようです。そして家の中をキレイにするのと同じくらい、外の草をむしってキレイにすることを大切にしていたのだと思います。

誰にでも価値があることがわかった

こんなことは祖母が亡くなったから、初めて考えたことです。生前、祖母は年をとった自分のことを役に立たなくなってしまった、といって嘆いていました。私も誰からも必要とされないことが、お年寄りには一番辛いことだと、見ていて実感させられました。

でも、その人がいなくなってから初めて気が付く価値があるのです。この世に価値のない人なんていない、こんな言葉を聞くときれい事だと思っていましたが、実は本当にそのとおりだということを教えてもらったように思います。

今自分に価値があるのかと疑問を感じている人もきっといるでしょうが、あります。ただしそれは自分が亡くなった後で、残された人が感じるものですから、きっと自分にはわかりません。自分がいなくなった後で、誰かが自分の価値を感じてくれたら、何だかうれしいと思うのですが、いかがでしょうか。

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