最近は「捨て活」などという言葉があり、不要品は捨てることに何の疑問も持たない人も多いでしょう。私も不要品は捨てる、これに反対はしませんし、夫に言わせると私は何でも考えなしに捨ててしまう人間だそうです。それでも、これまでにどうしても困った経験もないので、これで良いのだと思って生きています。
母の手作り品が捨てにくい
しかし、私にも捨てにくいものがあります。やはり深掘りすれば、捨てにくい理由が自分にもわかりそうなものばかりが残っています。いろいろありますが、一番は母の手作り品です。
母は晩年もいろいろな活動をしており(多分、自治体主催のサークル活動)、それがみんなで集まって手芸をするという内容のため、定期的に我が家に手作り品を持ってきました。要らないと言っても、置いていったのです。
小さなマスコットの類、ティッシュケース、ネックウォーマーなどです。ティッシュケースは実際に1つ自分で使っています。使うまではポケットティッシュをケースに入れる意味がわかりませんでしたが、実際に使ってみるとバッグの中に入れっぱなしでも、ポケットティッシュがよれよれにならないので実用的な品なのだとわかりました。
しかし、マスコットの類は誰も使いません。母が生きている頃からですから、もう10年以上しまいっぱなしです。ネックウォーマーに至っては、私は首の周りに何かあるのが嫌なので、使えません。しかも母のネックウォーマーはウールの毛糸を手編みしたもので、使うと首周りがチクチクと痛いのです。
実は年齢とともに、冬には首の周りを温めたくなったので、これからネックウォーマーを使うこともあるかと思って取っておいたのですが、年をとってもやはり母の手製のネックウォーマーがチクチクと痛いことに変わりはありません。
それでも母がもうこの世にはいないのに、母の作ったものを捨てるのは、母そのものを捨てるような気持ちになり、捨てることができませんでした。
今なら捨てられると思う
メルカリなどで売れば良いと思うのですが、売れるという保証はないし、売れたら発送しなくてはなりません。メルカリに出品してしまったら、それは売れるかもしれないものですから、ずっと手元に置いておく必要があります。正直言って、大変そう、面倒くさいという感情しか湧いてきません。
もう10年以上持ち続けたため、私の気も済んだようです。段々と捨てることに関して抵抗がなくなってきました。もともとマスコットの類もネックウォーマーも娘たちに要るかどうか確かめてあります。娘たちはそのどちらも要らないと言ったのです。長女は特にものに執着するたちで、ものを捨てるのを「かわいそう」と言って嫌がりますが、その長女ですら要らないと言いました。
そんなものを置いておいても、私が死んだ後、残された家族が捨てなくてはならないのです。それも何の思い入れもなく。今私が捨ててやれば、ただのごみ処理ではなく、感情豊かなお別れとなるでしょう。
実はもう捨てている?
使ってくれる誰かに託すのも、母の手作り品を生かす良い方法だと思いますが、惜しみつつ捨てるというのも、母のためにはなるのかな、と思っています。それにただしまっておくのと捨てるのと、そんなに差はないように思います。しまっている間、私は母の手作り品の数々のことを忘れていました。それって、捨てる場所が違うだけではないでしょうか。
集積所に持っていかずに、自分の家の片隅に置いているだけの違いで、本質的には同じ扱いをしているのではないでしょうか。
私も最近ちょっとした編み物をしましたが、作っているときが一番楽しいです。まあ、無事に完成するに越したことはありませんが、完成したときはすでに心が作品から離れています。母も作るときが楽しかったから、私が要らないと言っても押し付けるように手作り品をくれたのではないかと思います。
すでに捨てたも同然なのですから、今更捨てることに抵抗を感じる必要はないような気がするのです。何を捨てるのも捨てないのも、自分の気持ち一つですね。