先日、片付けを巡って長女を泣かせてしまいました。
長女と言ってももう30歳の大人ですから、私は泣いている長女を見ていて暗澹とした気持ちになり、同時に私の物言いはそんなにキツイのかとそれにも落ち込みました。しかし、意外にも早く長女は立ち直り、自分なりの片付けを進めているようです。
他者からの働きかけをすぐには受け止められない
昨日は、久しぶりに小学校の担任教師からの年賀状がたくさん出てきた、と懐かしそうに話していました。それを見ていると、長女は私の言ったこと(片付けるようにという要求)を端から拒否していたわけではなく、それを受け止めて自分で行動を起こすために少し時間が必要だったのかな、と思いました。
他者からの働きかけ(要求やアドバイスなど)というのは、ともすれば自分を否定するような内容に聞こえます。
例えば何かで困っている人に「じゃあ、こうしたらどうだろう?」と提案するのは、困っている人にとってそれまでのやり方が間違いだったと言っているように聞こえるのではないでしょうか(実際に間違っているから、困ることになったのかもしれませんが…)。しかし、誰にとってもそれまでの自分を否定されるのは不愉快なはずです。
長女にとって、私からの「ちょっと多すぎるものを片付けて、自分の部屋に収まる範囲に留めて欲しい」という要求は今までの長女の人生を否定するように聞こえたのでしょう。
私にも思い当たる節が…
実は先日の記事を書いたところ、コメントを頂きました。内容は「あなたたちの食事は栄養素が欠けているから、このような精神状態になるのでしょう。足りない栄養素を補えば事態は改善するはずです」というようなものでした。
一瞬私は今までの主婦としての人生をすべて否定されたような気持ちになりました。そのコメントには「そのような事態は、長年食事を作ってきたあなたの責任です」とまで書かれていたため、余計にそのような気持ちになったのです。
作る責任は主婦である私にあったのかもしれませんが、同時に人間には何を食べるかを自分で選ぶ責任もあると私は考えています。どんなに身体に良いものでも、嫌だと言う人に無理に口に放り込むことはできませんし、私はそんなことをやりたくありません。
それでも、よく考えてみれば、人間の身体は食べるもので作られます。そして身体が健康かどうかは、精神に大きな影響を及ぼします。だから頂いたコメントを私には関係ないことと無視してしまうのはもったいないと思ったのです。このように私自身も他者からの働きかけを素直に受け取れないわけです。長女が同じでも不思議はありません。
私に欠けていたのは、長女が働きかけを受け取り、自分のものにするまでの時間を待つ心のゆとりだったのかな、などと今は思っています。働きかけを受け取っても、何もしたくないということもあるでしょうが、それを認めることも私には必要だと思っています。
他者への働きかけは難しい
それにしても、他者への働きかけというのは難しいですね。家族という最も近い存在の言うことも、否定と受け取られてしまうことがあります。赤の他人なら、深い信頼関係がないと余計に難しいのだと思います。
まあ、実生活で初対面の人にいきなり人生相談もしないです(専門機関は別ですが)から、アドバイスをしたりされたりすることもないでしょう。このネットならではのいきなり感に私はまだついていけていないようです。
コメントを下さった方は、プロテインと鉄分が大切だとおっしゃっていたので、食事は見直したいと思っています。どちらの栄養素も今の私たちには大切なのはわかりますから。