先日私の両親が有償ボランティアを利用していたことを記事にしました。
私自身が子どもたちが小学生だったときに、学校ボランティアとして活動した経験から、ボランティアは有償の方が良いのではないかと思うようになりました。
読み聞かせのボランティアをしたけど
私は小学校で読み聞かせのボランティアをしていました。最初に参加したときは軽い気持ちでした。学生時代演劇部だった私は、久しぶりに誰かの前で声を出してみたくなったのです。
しかし、数回参加するうちにボランティアの代表者になって欲しいと言われました。これはやはり専業主婦だということが影響したのでしょう。
1年間代表者として活動する間、私はボランティアを続ける気持ちを保つことができませんでした。よくこういうことを続ける人の中からは、子どもたちが喜んでくれるだけで充分、という言葉を聞きます。
しかし、私には子どもたちが本当に喜んでいるのかも疑問でした。低学年の子どもたちは、気分が変わって楽しかったでしょうが、高学年の子どもたちは読み聞かせをされるよりも、そろそろ自分の好きな本をジャマされずに読みたいのではないかと思いました。
そのボランティアは本当に必要?
読み聞かせボランティアは多分、市の教育委員会などから、学校で取り組むように要請があったのだと思います。だから、ちゃんと市で読み聞かせボランティアの養成講座を行っていました。
小学校ではやれと言われたから、ボランティアを募集したのでしょう。しかし、そのボランティアが有償だったらどうだったのか、と私は思うのです。読み聞かせボランティアは報酬を支払ってでも、頼みたいことだったのでしょうか。
もし、そうなら良いですが、無償なら頼むけど、有償なら要らないと考えることがあるなら、そのボランティアはもともと必要がなかったことになるのではないでしょうか。ボランティアの前に有償とつけると、それが本当に必要かどうかの判断に役立つような気がします。
あってもなくても、どちらでも良いことをずっと続けるのは私には難しかったです。どうせなら、本当に必要とされていることをボランティアとしてしたかったです。必要なのかわからなくなってしまって、私はボランティアを辞めてしまいました。
有償なら対等な人間関係が保てるかも
まあ、私には何でも面倒くさいと思う性質があるので、それが出ただけかもしれません。しかし、有償ボランティアと聞いたとき、とても良いと思ったのには、この経験が影響していることは間違いありません。
もちろん、ボランティアをされる側の人の気持ちが、少しでも報酬を支払うことで楽になることや、ボランティアをする側の人にも責任感や達成感が芽生えることも有償ボランティアのメリットです。こう考えると、有償ボランティアの報酬というのは、心の交流のようにも感じられます。
ボランティアの行為と報酬が行き交うからこそ、ボランティアをされる側とする側の人同士が対等の関係になるのかもしれません。しかし、現在もたくさんの人が有償、無償を問わずボランティアをしているはずです。本当に尊いことだと思います。
いろいろ屁理屈を言って申し訳ありません。