今回、夫の叔母と叔父が続けて亡くなりました。夫の従兄弟(2人兄弟)は、9月に叔母の葬儀を行い、11月には叔父の葬儀を行ったわけです。
1度に4件の葬儀があったら
叔母の葬儀を行う少し前には、従兄弟の妻(兄の妻です)の母が亡くなっています。また、叔父が亡くなる数日前には叔父の弟が亡くなりました。半年以内に4件の葬儀に関わるという経験をしてしまったのです。
これはなかなかあることではないし、想像するだけでも大変そうですが、夫は昨日、従兄弟と挨拶するときにこんなことを言っていました。
いろいろと重なって大変だったね。でも、誰でも経験することだからね。
これって誰でも経験することだから、仕方がないよと言いたかったのでしょうか?確かに親や親戚の葬儀は誰でも経験することですが、誰でも経験することでも、自分は経験したくなかったと考える人もいるでしょう。
冷静になって考えれば、葬儀を経験しないことはほとんど不可能ですが、葬儀の最中には冷静になれない人がいても、おかしくありません。
夫の言葉が心配になる
それに今回の従兄弟のように、一度に両親の葬儀を出す経験をする人はあまりいないと思います。私の従姉妹は両親を同じ年に失いましたが、それでももう少し期間が空いていました。それでも、従姉妹の心労は大きかったようで、彼女の夫はずいぶん心配したようです。
だから、なんとなく夫の言葉を聞いて、私は心配になりました。従兄弟たちに曲がった意味に取られるのではないかと思ったのです。だから、つい横から口を挟んでしまいました。
それでもこんなに葬儀が重なる経験は、なかなかないですよ。本当に疲れたでしょう。大変でしたね。
私の言葉に、従兄弟も妻も大きく頷いてくれました。まあ、従兄弟たちも昔から夫のことを知っているし、私が考えたことは取り越し苦労だったのかもしれません。しかし、大変なときのことはずっと後まで残ってしまうかもしれませんから、予防線を張っておいても良かったのではないでしょうか。
葬儀の経験は人それぞれだから
夫は早くに両親を亡くして、周りの親戚たちからはいろいろと口を出されました。皆一様に「両親を早く亡くして、お前たちは何も知らないから」と言っていたそうです。
一度はどうしても仕事の都合で参列できなかった葬儀があり(別に近い親戚というわけではありませんでした)、代わりを次弟に頼んだところ、面と向かって「こういうことは長男が行くもんなんだよ!まったくこんなこともわからないのか。これだから親がいないと困るね」と言われ、本当に悔しい思いをしたそうです。
誰でも大体は親を見送らないといけません。夫はそれを思ってじっと耐えたのでしょう。みんなも、いつかは同じ思いをするのだから、自分だけではないのだから、と我慢をしたわけです。
夫の気持ちはわからないではありませんが、夫のような経験をする人もまた少ないでしょう。だから私は、夫の言葉がどんなふうに取られるかが心配になったのです。
こんなことを気にしなくてはならない葬儀の席はやはり疲れます。もう、あまり行きたくないな~、と思っていますが、これからはどうなるでしょうか。