今朝、新聞に78歳の女性の投書が掲載されていました。墓じまいを考えていたが、実際に墓に赴いたところ、考えを改めたそうです。
墓じまいはやめたそうだが…
墓には投書をした女性のお父様が眠っていらっしゃるとのこと。お父様は高台にあり、見晴らしの良い墓がずいぶんと気に入っていらっしゃった様子です。高台にあることで墓参も大変、女性の娘さんはアメリカ在住、この条件があるからこそ、女性は墓じまいを考えたわけです。
しかし、女性は実際に墓に赴き、高台からの景色を眺めたとき、なぜお父様がこの墓にこだわったのか、わかる気がしたそうです。
娘も今、墓じまいをしなくても…と言い出し、墓じまいは白紙に戻ったのですが、私はちょっと腑に落ちないような、納得できないような気持ちになりました。
面倒をみる人がいない墓は悲惨…
自分がこの数年、お墓の面倒を見ているからこんなことを思うのでしょうか。墓にはすぐに草が生い茂り、種をとばします。自分の墓はいくら雑草が生えていても構わないと思っても、近隣の墓に迷惑をかけるのです。
墓石や周りの手すりだって、いつまでも無傷ではいられません。古くなったら劣化します。それが誰かのケガの原因にならないとは限らないため、何かあったら修理が必要です。
墓って、意外に手がかかるのです。投書には、普段は遠縁の者が墓守をしているとありました。その人にだって墓はあるでしょう。2つの墓の面倒をみる…私ならごめんです。
実際に、我が家の墓がある共同墓地に、最近になって誰も面倒をみる人がいなくなった墓があります。やはり、雑草がすごいです。古いので、墓石はあと数年で崩れるかもしれません。
しばらくは遠縁の人が草取りなどをしていましたが、その人も亡くなりました。この後はどうなるのか…
お墓の面倒をみるのは大変
まあ、みんながみんな墓じまいをする必要もないわけで、墓を大切にしたいと思うのは良いことです。ただ、墓の面倒をみるのは大変なことだと私はわかって欲しいです。遠縁の人にずっと面倒を見てもらう、と考えるのはよした方が良いのではないでしょうか。
お寺や霊園に墓がある人は考えたことがないでしょうが、共同墓地の墓は花を活けても自分が片付けなければ、ずっとそのままです。活けたときは供養になると思っていても、そのままでは花は腐り、悪臭を放つだけです。
自分が頻繁にできない場合は、間違いなく誰かの手を借りることになります。少なくとも遠縁の人がもう面倒は見られません、と言い出したときに、どうするのかくらいは考えておいた方が良いと思います。
私はまだ60歳ですが、もうこんなに墓の面倒をみるのが嫌になっています。しかも自分の家の墓なのに。もう墓は要らないかな、とまで思うのです。
お墓をどうするかは難しい問題
私は自分が亡くなった後、お骨がどこに入ろうと構わないです。
だって、自分はもうわからないわけだし…もし人が亡くなった後、魂が残るとしたら、魂は自由な存在なのでしょう。だったら余計にお骨がどこにあろうと構わないような気がします。だから、私は樹木葬が良いと思うのかもしれません。
散骨はお骨が飛び散りそうで、何となく抵抗がある…
そんなことより、早く墓掃除にいかないと、お盆がどんどん近づいています(当地のお盆は7月23日から)。
墓じまいにはかなりの額の費用がかかるそうです。もしかすると、その費用が捻出できずに、墓を放置している場合もあるかもしれませんね。それなら、私も気持ちがわかります。
そして、我が家の墓も夫と私が亡くなった後はそんな感じになったりして…お墓をどうするか、これって難しい問題なんですね。


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