夫も長女もコロナ騒ぎのときには、出社の回数が減り、家にいることが増えました。1人静かに引きこもっていた次女にとっては大変な状況になったようです。
みんなでご飯を食べたくない
家族全員が家にいるようになってから、次女は次第にご飯をみんなで食べるのが気詰まりだと言い出し、自分は少し時間をずらしたいと訴えました。我が家の夫は夕食は家族揃って食べることをモットーにしているので、もちろんその訴えは却下されました。
しかし今でも、次女の様子を見ると、これが家族揃っての夕食とはとても言えないと感じています。次女はとにかく早くこの状況から脱出したいとばかりに、まるで飲み込むように食べ物を口に運んでいるからです。
最近はコロナ騒ぎのために、みんなでテーブルを囲んで、向かい合って食べるのはいけないと言われだしています。何も一緒にご飯を食べるだけが家族ではないので、みんなで食卓を囲むという習慣が少し緩やかになると、気が楽になる人もいるのではないでしょうか(後片付けの面では、一緒に食べてくれる方が良いですね)。
家族がたてる音が嫌
また、次女は人がたてる物音がうるさくてたまらないとも言い出しました。足音が大き過ぎる、椅子を引く音でドキッとしてしまう、などと言っています。次女は聴覚過敏(診断を受けたわけではありません)で高校生くらいのときから、昼夜を問わず、眠くなるとよく耳栓をしていました。
音が辛いのはかわいそうですが、ここは次女だけの家ではありません。私たち家族は、誰でもこの家で気兼ねなくくつろぐ権利があります。次女がうるさいと言っている音も、常識を外れるほどではありません(次女にはちゃんと個室があります)。本来はうるさいと思う人が、そろそろ自分も独立する時期なのだと悟って、1人暮らしを始めればよいのです。
次女は家の外でする音にはそれほど敏感ではありません。家の中の音、つまりは家族がたてる音が嫌なようです。家族とご飯を食べたくない、家族のたてる音が嫌だと言うことから、次女の家族に対する思いが読み取れるようで、私も見ていて気持ちが良くありませんし、辛いとも思います。
嫌なのは独立する時期だから?
いつかは巣立っていくのはどんな生き物でも当然のことです。巣立ちの時期が来れば、家族に対してうっとうしいというような感情を抱くのもまた、当然だと思います(そうでなければ、出ていこうと思わないでしょう)。
でも、独立の手立てがない(本当は自分で手立てがないと思い込んでいるだけのように見えます)ために、家を出ていくことができない次女は家族に対するモヤモヤを抱えているのでしょう。そのモヤモヤは、かなり大きく、次女が抱えるにはそろそろ重たくなっているようです。
コロナのせいで、様々な面で気が紛れることが少なくなりました。だから、次女に限らず人の本当の性質や考えがよく見えるようになっています。夫も長女も仕事でいないときは、私と次女が同じ家にいるわけですが、1階と2階でうまく住み分けをしていました。だから今まではそれほど次女のことを気にしなかったのです。でも、ここに来て次女の姿から前よりも一層、不健康なものを感じるようになりました。
今のままで将来は楽しいのか
それにしても8050問題(80代の親が引きこもりの50代の子どもを支えなくてはならない問題)は他人事ではありません。
私は自分が死んだらとは考えていません。だって死んだ後のことは確かめようがありません。でも、自分の娘には1つでも良いから楽しい思いをして欲しいです。そのためには電気やガス、水道が使えて、食べ物があることが基本だと思います。そして基本を満たすためには生活の手段が必要です。
生活の手段もなく、今よりもさらに古くなったこの家に1人でいるのが、未来の次女にとっては楽しいことなのでしょうか。
将来を考えるのは、いつも難しい
私が次女の年齢(24歳)だった頃、50代になった自分の姿は想像できませんでした。50代なんて、ずっと先のことでそんな年齢になるまで生きているのかわからない、くらいに思っていました。でも、過ぎてみればあっという間に50代になってしまったような気がしています(しかももう半分終わってしまいました)。そして、自分がその年齢に合った知識や技術を身につけているかというと、甚だ心もとないのです。
次女がなんの経験もないまま50代を迎えるとき、大きな後悔が襲ってくるのではないかと考えると辛いです。でも、今いくら口で言っても次女にはピンと来ないでしょう。私が50代の自分を想像できなかったのと同じです。
それにしても、コロナは様々な面で人々に影響を与えますね。本当に感心します。