最近ブログを読んでいると、親などを介護しているという話題が増えていると感じます。その中で、着替えるのを嫌がられて困った話を何回か目にしました。
やっぱり母も嫌がった
私の母も最後に入院したとき、着替えや体を拭くのを嫌がっていました。看護師さんが、すぐに着替えましょう、キレイにしましょうと言うのが、うるさいと怒っていました。母にしてみれば、あなたは汚いからキレイにしましょうと言われていると感じたようです。
確かに母は亡くなる直前には、認知症のような症状が出ていましたが、着替えを嫌がるのは、昔からでした。私が子どもの頃から、母は1度や2度着たくらいでは、服を着替えませんでした。汗をかくほどの労働をしているわけじゃないから、不潔ではないと言うのです。
しかし母は汗をかいたときでも、着ていた服をそのまま干して乾かしてから、もう1度着たりしていました。母にとって、洗濯は水と洗剤をたくさん使う贅沢なことだったのかもしれません。
母は、風呂に毎日入るのも贅沢だと文句を言っていました。昭和11年生まれの母は、私たちとは清潔についての感覚が違っていたのだと思います。
その感覚を変えることができずにいたために、母は最後、あんなに着替えを嫌がったのではないでしょうか。自分の価値観を脅かされると、人間はそれを守るために、頑なにならざるを得ないように思います。着替えをしたくないというのは、母の最後の砦のようなものだったのでしょう。
ちなみに母は昔から体臭がほとんどなく、私は母からニオイを感じたことは一度もありません。だから私は着替えたくないならそれで良いと思っていましたが、病院では衛生面などの観点から、そうはいかなかったのでしょう。何とか言うことを聞いて欲しいと思いましたが、そう都合よくいきませんでした。母は半ば力づくで着替えさせられ、不満は私にぶつけられたのです。
次女も…
母が亡くなってからすぐに次女が大学を中退して引きこもりになりました。そして最初は毎日入っていた風呂に入らなくなりました。
こちらは母と違い、若いせいかたまに臭ってきます(夫と長女は何も言いませんから、気づいていないのかもしれません)。そして引きこもりで買い物に行けないなどの事情があるのかもしれませんが、何日も着替えず同じ服を着ています。
次女を見ていると、母を思い出し、もしかして風呂に入らないとか着替えないなどの困った行動は、野生の動物が自分のテリトリーに自分の臭いをつけるのと同じことなのかもしれないと思いつきました。
私がよく読んでいるブログにも同じようなことが書いてあったので、やっぱり、と一人で納得しました。記事はこちらです。「やだやだ!着替えを嫌がる認知症母のこと、医師に相談しました」
着替えは重大事項らしい
着替えたくない人にとっては、着替えろと迫ってくる他人はきっと自分を脅かす敵のように感じられるのだと思います。
本当の敵は着替えろなどと言わないということをわかってくれると良いのですが、認知症などでなかなか意思の疎通ができない人にはそれが難しいのでしょう(次女は認知症ではありませんが、それでも着替えませんし、風呂にも入りません。うつ病などの患者にもよくあることだそうです)。
介護をしている、または同居をしている家族が着替えを嫌がり、臭ってきたら確かに問題になりますが(私の母のような人はそれほどいないと思います)、今目の前のこの人は、危機的状況にあり、自分を守ろうと必死なのだと言うことがわかれば、少しは自分の気持に余裕ができるのかもしれません。
それから、この人の生きてきた時代は水も洗剤も貴重だったのだと考えて、その人生に思いを馳せるのも良いかもしれません。それにしても、着替えを嫌がる人は世の中にたくさんいるようで、驚きました。
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