長い間引きこもっている次女が昨日珍しく外出しました。自転車で最寄りのデパートまで出かけたいと言います。昨日は急に暑くなりました。こんなときはいつも次女はやはり出かけない、と予定を変更することが多かったのですが、昨日はそうではありませんでした。
大変な思いをして行ったデパートでのお土産
夕暮れのころに帰ってきた次女は、デパートに向かう途中で気分が悪くなったと言いました。道端でうずくまっていてんだよ、と言っていました。学生だったころ、おかしいと思いながらも歩みを止めなかった次女は人通りの多い道で脳貧血を起こしてその場にうずくまってしまい、通行する人たちにずいぶんと心配をかけたらしいです。そのときは交番に保護されたそうです。
今回は自分で対処できたのだから、良しと言えるのかも、などと思っていたら、話の途中で次女が紙袋を取り出し、差し出してきました。そしてこう言ったのです。
あんな苦しい思いをして行ったデパートだから、記念にお土産を買ってきたよ。
袋の中身は新潟名物の笹団子でした。新潟には母の実家があり、子どもの頃に私はよく笹団子を食べたものでした。その話をしたのを次女は覚えていたのです。「ゆみこねこはこれが懐かしいかと思って」と次女は言いましたが、本当に笹団子を見ただけで懐かしい気持ちになりました。
思い出の味よりも美味しかった
私が食べていた笹団子は祖母から母に宛てた宅急便の荷物の隅に入れられていたものです。今のようにクール宅急便などはない時代で、配達にも時間がかかりました。そのため笹団子は日にちも経っていて、ちょっと固くなりかけていました。それを母がもう一度蒸し器で温め直したものを食べていたのです。今なら衛生面でアウトになりそうです。幸い実家では誰もお腹を壊したりはしませんでしたが、やはり美味しさという点では、できたてには少々劣っていたのかもしれません。
だから、久しぶりに食べた笹団子は子どものときに食べていたものよりも、格段に美味しいと思いました。笹団子ってこんなに美味しかったのかと、驚いたくらいです。よく人は過去に食べたものの味を美化してしまうと言います。だから、今食べてもがっかりすることが多いのだと聞きました。しかし、私の場合は逆で、それが何か嬉しかったです。
実は画像に使った笹団子の写真は長女が撮ったものです。きっと普段は外に出ない、お金にもしぶちん(すぐに人のためにお金を使いたくないと言います)な次女が買って来た笹団子が珍しく、そして嬉しかったのでしょう。
私たち家族にはここ数年良いことなどなかったような気がしていますが、普段良いことがないと、こんな些細なことが嬉しく感じます。これはこれで幸せなことかもしれません。気がついていないだけで、幸せのタネは自分の周りにたくさん落ちているような気がしています。