最近、発達障害の人がせっかく進学した学校を中退してしまったり、卒業できても就職できないというケースが増えているそうです。それも医師に発達障害を診断された人よりも、グレーゾーン(医師に正式に診断されたわけではない場合)の人がそのような問題に直面することが増えていると言います。
みんながやっていることが難しい場合もある
例えば大学に進学した場合、学生が自発的に自分の都合と履修するべき単位数を考えて授業を選ぶ必要があります。そして授業を選んだ後は、授業に出席するのはもちろんですが、課題があれば提出し、テストを受け、初めて単位が取れるわけです。
しかし、発達障害の人にはいきなり自分で考えて、いくつものタスクをこなすのが苦手なことがよくあります。それができないでいるうちに、単位を落とし留年したり、最悪の場合中退という結果になってしまうのです。
もともと診断を受けている人は、これではいけないと考え、何らかの援助を求めることもできますが、そもそも診断をうけていないと、自分がきちんとすれば何とかなる、と原因をすべて自分のせいにしてしまうことも多く、援助には結びつかないということです。
今朝、新聞でこんな内容の記事を読み、一番に長女のことが頭に浮かび、気の毒なことをしたなと思いました。我が家の長女はメンタルクリニックで、発達障害の疑いが濃厚であると告げられました。
長女は高校に入学してすぐに赤点をとり、担任教師から我が家に電話がかかってきたことがあったのです。
ちなみに画像のパンダはかつて長女が母の日に私にプレゼントしてくれたものです。右に少しだけ移っているのはこれも長女のプレゼント。自筆の絵です。
私は長女の行動に怒ってしまった
長女は確かにテストの点も悪かったのですが、レポートを提出することで赤点にはならないはずでした。ところが、長女はそのレポートを提出しなかったため、赤点になってしまったと担任教師は電話で言い、「何かレポートを提出したくない理由があったのでしょうか?」と逆に質問されたのです。
やっと希望の高校に合格したのに、なんという態度だ、と私は怒りながら長女に問いただしましたが、返事は煮え切らないものでした。
提出日にレポートを出そうと思っていたんだけど、掃除当番だよってクラスメートに呼び止められたら、忘れちゃった。そうしたら、もう先生に渡しにくくなっちゃって…
当時発達障害についての知識など私にはまったくありませんでした。私はこう思ったのです。
まったく!いつもいつもだらしがないんだから!自分がきちんとしていたら、大切なレポートの提出を忘れるはずはないよね。もう高校生なんだから、もっときちんとしないと…
今思うと私の対応はひどかった
私は長女が少しだけ頑張れば、無事に学校生活を送れるはずだと信じていました。確かに長女はその後、赤点をとることもなかったし、問題は起きませんでした。しかし、今考えると長女は私などが想像していた以上の努力を強いられていたのかもしれません。
その証拠に長女は高校在学中、とても精神的に不安定で、体調をよく崩しており、すぐにアトピー性皮膚炎が悪化して、思春期の女性としては辛い状況が続きました。休日は起き上がれないほど疲れていることが多く、高校時代の休日は1日中ベッドの中ということも多かったのです。
当時の私に今と同じくらいに発達障害についての知識があれば、あのように「しっかりしろ」だの「きちんとしろ」だのと言って、放っておくことはなかっとでしょう。助けにはなれなかったかもしれませんが、せめてどうすれば不自由なく学校生活を送れるかを一緒に考えることもできたかもしれません。
私の対応は長女にそぐわないひどいものだったと思います。それは運動が苦手な人にいきなり、フルマラソンを勧めるようなものだったのではないでしょうか。
これからも発達障害が認知されると良いと思う
こうしてメディアなどで発達障害が取り上げられることで、発達障害というものの存在が世間に知られるようになるでしょう。だから、ドンドン取り上げられると良いと思っています。そういう人がいるんだと知ることが、誰かへの理解につながるかもしれません。
夫は発達障害について、「すぐに名前をつけて、それのせいにしている!それは逃げていることと同じだ」などと言っていますが、私は発達障害というものを受け入れたいです。それは今の社会にすぐに馴染めない人のことを、切り捨てるのではなく、一緒に生活する方法が考えられるからです。
長女にだらしがない、きちんとしなさいと言い続けていた頃(私は言うのが親としての義務だと思っていたようです)より、長女は発達障害だけど、自分で工夫しながら生活をしている、と頑張りを認められる今の方が私は好きです。
私自身も世間一般で言う、きちんとするとかちゃんとする、ということがよくわかっていませんでした。だから、叱られることも多かったと思います。でも、具体的にどうしたら良いのかを言わないのは、結局相手まかせにしているのと同じです。叱る側の怠慢と言っても良いでしょう。
トラブルがあるなら一緒に解決していけるのが、本当に生活しやすい社会ではないでしょうか。