お焚き上げに頼りたい気持ち

タブー

昨日は小正月でした。関西の方でもお正月飾りがしまわれて、本当に日常生活が戻ってきました。今年もまた、神社などで行うお焚き上げでトラブルが続出したそうです。

お焚き上げに持ち込まれる、関係のない物とは

神社や寺院で、前の年にお世話になった御札やお守りを火にくべて燃やしてもらうのがお焚き上げです。お焚き上げの火にあたると、その年はカゼをひかないなどともいわれているので、楽しみに参加する人も多いでしょう。

地域で行うお焚き上げは別ですが、神社や寺院で行う場合は、その神社(寺院)で前の年に授与された御札やお守りを納めるのが基本です。その神社(寺院)によっても違いますが、お正月飾りくらいは受け入れてくれるようです。ただ、近年神社や寺院に関係のない、人形や千羽鶴、だるまなどが持ち込まれて、関係者を悩ませているそうです。

関係のないものを持ち込んで処分をしてもらおう、というのはあまりに虫のよい話だと私も思いますが、持ち込む人の気持ちも、少しわかるような気がします。この世には捨てるときに心が痛むものが多すぎると思うのです。例えば顔の付いている人形やだるまは、捨てるときにかわいそうという感情が湧いてきます。

だるまや招き猫は顔が付いているだけでなく、購入する場所が神社や寺院に出ている屋台ということも多いでしょう。何となく御札やお守りに似たありがたさを感じてしまい、捨てるに捨てられないこともあるでしょう。

自分が買った物は自分で処分する!

でも、御札やお守り以外、神様や仏様の名前が入っていない物なら、私たちが捨てても構わないそうです。というよりも、私たちが自分で捨てなくてはならないのです。

昔は捨てるにしのびない物は、家で火にくべて燃やしました。火にくべることは、ゴミに出すこととは一線を画しているように思います。火で燃やすことは死者への対応と同じです。何かを燃やすと煙が高く天へと登っていきますが、それを見ながら昔の人は死者が天に帰って行くと感じたのではないでしょうか。現在はそれが許されなくなってしまったために、どうしようもなくなった人が、何でもお焚き上げに頼ってしまうのかもしれません。

つらくても捨てるのが、責任をとるということ

私の経験からいうと、確かに顔が付いている物を捨てるのはつらいですが、とにかく1度捨ててみてください。次第に慣れていきますし、もう捨てずに済むように、人形を軽々しく買ったりもらったりすることを控えるようになります。そうなれば、つらい思いをして捨てたかいがあったというものです。

だるまや招き猫は、捨てる前によくお礼をいうとよいそうです。縁起物として、私たちの幸せを見守ってくれたのだと思えば、お礼の言葉にも心がこもるはずです。その後は塩をふって清めてから、半紙などで包んで中身が見えないようにして(中身が見えてしまうと、ほかの人が驚くかもしれないし、気分もよくないでしょう)、その地域で決められている方法で捨ててください。

喜んで使ってもらえるなら、誰かに譲るのもよい方法ですが、相手が無理をして受け取るかもしれないことは忘れないでください。よく、気に入らなければ、捨ててもらって構わないといって、物を譲る人がいますが、それはお焚き上げに関係のない物を持ち込む人と変わりません。自分が捨てるのが嫌だから、別の誰かに丸投げしているだけです。

1度は自分でつらい思いをして、物を捨てる経験をすることが、自分が手に入れた物の寿命を全うさせることにつながるはずです。

物の寿命を全うするために、できることは?

自分で捨てることは大切ですが、近所に幼稚園や保育園、児童館などがある場合は、人形やぬいぐるみが必要ではないか尋ねてみるとよいでしょう。子どもがたくさん集まる場所では、人形やぬいぐるみの劣化が激しいため、歓迎してもらえる場合があります。ボロボロになるまで遊んでもらってから、捨てられるのであれば、人形たちは本当に寿命を全うできるでしょう。

物を購入するのは、新しい家族を迎えるのと同じことだと、誰かがブログに書いていました。 人形やぬいぐるみ、縁起物などを購入するときはとても楽しいですが、それと一生付き合えるのか、または捨てるときはどうするか、考えないと後悔する原因になります。

物は勝手に消えてなくなりはしません。物置や納戸にしまいっぱなしでは、結局劣化して使い物にならなくなるのを待っているのと変わりません(害虫の原因にもなります)。つまり自分の家の中ですでに捨てているのと同じです。それなら、ちゃんと行く末を考えてあげましょう。何でもお焚き上げに頼らずに、自分でできる方法を考えるべきですね。

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