いつぞやキャベツを8玉くれた親戚のおじさんについて書いたことがあります。
今回もいただきました
そのおじさんが今回はゴールデンキウイを1箱、巨大スイカを1玉、キャベツ3玉、巨大トマト8個、いんげん適当、にんにく数十個をくれました。毎年、夏はフルーツを主にくれます。フルーツは私も娘たちも好きです。しかし、スーパーのバックヤードでしか見ないような箱入りのキウイは食べるのが大変でした。
すごく急いで食べましたが、それでも1つダメにしました。やっとキウイが食べ終わったので、今日からスイカに取り掛かることにしました。この書き方からもわかってしまうかもしれませんが、もう義務のようになっています。
それでも普段はフルーツを買うとき、高いからと少しだけ買ってチビチビと食べているため、食べないで人にあげてしまうとか、捨ててしまうという選択はできないです。
そもそもあげる人もいません。母はスイカが好きだったので、スイカが余って困っているというと、喜んで持っていってくれました。亡くなった年の夏にもスイカをあげたのです。でも、その母も亡くなり、スイカをあげる人は本当にいなくなりました。
スイカを切っているうちに憂うつに
スイカはまるごとは入らないため、切って皮を外してから冷やしています。すべて切っても入れる容器がないため、1/4だけ細かく切って冷やしています(写真は切った後の1/4のスイカです)が、冷蔵庫の中がスイカだらけになりました。
切りながら味見をしたら、とても甘くて美味しいスイカでしたが、これがすべてなくなるのはいつのことだろうと、考えると何だか憂うつになってきました。食べたいものを食べるのと、食べなくてはいけないものを食べるのはずいぶんと違いがあります。
憂うつのタネはあちこちに
最近雨続きなのも憂うつになる原因の1つなのかもしれません。いろいろと世間も騒がしかったし…しかし、もう昼近くなってもまだ眠っている娘たちのことなども、起きてくることを考えるだけで憂うつになります。また、2人が顔を合わせないように、時間をずらして起きてくるんだろうな、などと考えてしまうのです。
2人共私とはよく喋り、普通に笑顔も見せます。しかし、こうまで頑なに同じ家に住んでいて顔を合わせない2人を見ていると、私と喋っているその顔まで嘘くさいように思えてきます。
何だかなにも進展がない、進歩がない、そんな毎日です。普段はあれこれと追われていてあまり憂うつのタネについて考えませんが、雨の日って心が落ち着いて、深く考えられるのが良くないのでしょうか。
以前は洗濯物が乾かないのも、憂うつのタネの1つだと思っていました。しかし、乾燥機を買っても、それほど私の憂うつが減ったとは思えないのです。長女はこれからの7月後半、また展示会に出品するそうで、絵を描くために仕事を休むそうです。
私が良い母親なら、頑張っているなと見守るのでしょう。私にもその気持ちがあることはあるのです。しかし、私はあれもこれも憂うつでしかありません。