今から30年ほど前、大学時代の同級生がアムウェイにハマってしまい、断っても断っても電話で勧誘してくるため、ホトホト困ってしまいました。
彼女の結婚式に呼んでもらっていたため、私が結婚するときはかなり迷いましたが、他の同級生に相談すると、パタリとアムウェイの話はしなくなっている、とのことでした。それで勇気を出して招待したため、付き合いが途絶えることはありませんでしたが、私も彼女も同じ時期に出産をしたため、時間がなくなり会う機会はほとんどなかったのです。
懐かしいと思ったのは私だけ?
しかし、ちょうど長女が2歳をこえたころ、彼女から電話がありました。私は夫の実家の敷地に新しく家を建てたばかりで、彼女は新居に遊びに行きたいと言ったのです。出産で仕事も辞めていたし、慣れない土地での生活で私はかなり孤独感に悩んでいたと思います。アムウェイのことでトラブルになったことも私は忘れかけていました。
喜んで彼女を招待することにしたのです。当時隣県に住んでいた彼女。わざわざこんな田舎に来てくれるなんて本当に嬉しいと思い、一生懸命に慣れない運転をして最寄りの駅まで迎えに出たことを今も思い出します。
ところが現れた彼女は大きな黒いバッグを抱えていました。少々不審に思いましたが、しばらくは懐かしさの方が勝っておしゃべりに花が咲いたのです。しかし、会話も一段落したとき、彼女はバッグの中からガラス板を2枚取り出し、我が家の食器用洗剤を貸してと言い出しました。
1枚のガラス板には我が家の洗剤、そしてもう1枚にはアムウェイの洗剤を垂らし、いかにアムウェイの洗剤が液垂れせずに汚れを落とすか、それにもかかわらず環境にやさしいかという説明を延々と始めたのです。
彼女はアムウェイでの活動を辞めたわけではなく、出産後再び始めたところでした。我が家に訪ねてきたのも、アムウェイでの会合があったついでだったのです。ちょうど我が家の最寄りの駅の沿線上で会合があったので、行きやすかったから、と言っていました。
懐かしいと思っていたのは私だけだったと感じたときは、本当にショックで頭に血が登ってしまいました。もう、早く帰って欲しくてたまらなくなりました。その後一体彼女と私は何を話したのか、帰りも送っていったのかあまり記憶がありません。
今では音信不通に
その後彼女は二度目の出産で子どもを亡くし、離婚をしました。最初の出産で産んだ双子の男の子たちと実家のある県に帰ったと聞いています。私がアムウェイのことで連絡を取りにくいと思っているうちに、どんどん連絡しにくくなり、今では音信不通です。しかし、私が連絡が取りにくいとあれこれ考えている中でも、彼女からは一切連絡がありませんでした。それがある意味、彼女と私の関係の答えなのでしょう。
私には音信不通の知人がたくさんいますが、連絡先くらいはわかっています。しかし、彼女の場合はもう連絡先もわかりません。後戻りのできない音信不通です。最後に会ってからかなり年数も経っているし、いい加減忘れても良いと思うのですが、これも私の性格なのでしょう。
彼女とのことは、人と付き合うのが面倒とか、嫌になるということをとても実感した出来事でした。いちいち何十年経ってもグチグチとこんなことを言っている(書いている)自分のことが一番嫌なのかもしれませんね。こんなことも現在の私の孤独な状況の原因なのかな、などと思っています。