先日、セデーションを受けるという女性のブログ記事を読んで、いろいろと思ったことを記事にしました。
セデーションというのは薬の力で意識レベルを低下させて、病の苦痛を緩和する処置です。私はこの言葉で母の最期のときを思い出したのです。しかし、そのブログ自体は、つい引き込まれる面白さがある一方で、どこかで作り話が多分に入っているのだろうとも思っていました。何しろありとあらゆる不幸がブログを書いている女性を襲うのです。まるで昔の女性向けの小説やドラマのようだと思いました。
実は私と同じことを感じている方もいるようです。
やはり同じことを考える方がいるんだな、と思い、もう一度そのブログについて検索をしてみると、以前から内容が嘘ではないかと話題になっていたことがわかりました。
しかし、嘘ではないかと言われながらも、現在そのブログはブログ村のランキングで2位を獲得しています。これはそのブログに魅力があるからに他なりません。
嘘かもしれないブログの魅力とは
私自身について言うと、子どもの頃からずっとオカルトについての話が好きでした。あれは完全に嘘とは言い切れませんが、本当とも言い切れません。嘘かもしれないと思いながらも、夢中になっていましたが、そのブログを読むときも同じような気持ちになっていたのだと思います。
それから人間には別の人間になりたい、という欲求があるのではないでしょうか。そのブログにはご本人がセデーションを受けて退場した代わりに、お母さんやらご主人、果ては息子さんまでが登場しています。
私にはどうもそのお三方(現在セデーションを受けておられる女性も入れると4人ですね)の文章を、同一人物が書いているように思えるのです。なぜ同一人物だと思うのか、理由をすべて説明するのは難しいですが、まずはタイトルの付け方です。
タイトルを目にする人をドキリとさせて、つい読ませてしまう大変に上手なタイトルの付け方をしていると思います。文体は年代や性別に合わせて変えていますが、タイトルの付け方の根本は同じように見えるため、同じ方が書いているのかな~と感じました。
また、文章もこの年代・性別でこの立場なら、こんな文章を書くだろうという、まるでテンプレートのような文章のため、同じ方がそれぞれ違う立場を想定して書くならこんな感じになるのかもしれないと思います。
ブログを読んでいるうちに、1人の人間が違う人間として文章を書いていることが、まるで違う人間として生きているように感じられてきます。ブログの中では別の人間になれる、ブログの作者がそう教えてくれていることがそのブログの魅力になっているのかもしれません。
これからが気になる?
私の現在の興味は、作者はこのブログをどうやって続けていくのだろうということです。現在ブログを運営している女性はセデーションという処置を受けていることになっています。私の母が同じ処置を受けていましたが、この処置を受けるとその後回復するのは難しいことが多いです。
そうすると女性はやはり亡くなってしまうのでしょうか。よく昔のドラマで人気のある登場人物が死にそうだというとき、助命嘆願運動が起こったものでしたが、この場合も読者の反応を見て、作者が奇跡的な回復をさせたりするのかもしれませんね。
最初、そのブログに人気があるのは、人の不幸は蜜の味だからなのかと思っていましたが、実はストーリー展開が多くの人を引き付けているのかもしれません。本当のことを書いているブログはもちろん素晴らしいですが、嘘が混ざっていても、人を引き付けることができるブログはもっと素晴らしいのでしょう。
でも私は、全部嘘ではないと思っているフシがあります。ブログのどこかには真実があるのではないでしょうか。セデーションという言葉、普通はなかなか知らないと思います。私も母のことがなかったら縁のない言葉だったでしょう。ブログの作者の方もどこかで辛い思いをしたのでしょうか。作者の方が、心も身体も元気であることを願ってやみません。