先日亡くなったご近所の女性は、75歳で一人っ子でした。それで婿をとって家を継いだのですが、当然自分よりも年長の親族は皆亡くなっています。葬儀のときには女性に関係ある親族がほとんどいなかったと夫が言っていました。
だから、女性のいとこにあたる人たち(と言っても3人だったそうです)が、葬儀の手伝いをしていたそうです。ただ、婿を取ってまで継いだ家であるにも関わらず、女性の親族はわずかとなり女性の夫の方の親族が多くなるという、逆転現象となったのです。
実は大変なの?
私にも一人っ子の従姉妹がいます。彼女の場合は、教育資金の準備が難しいために計画的に一人っ子にしたのだと伯母が話していました。
もともと従姉妹自身は一人っ子と言うことに納得しておらず、教育資金云々よりもきょうだいが欲しかったとよく言っていたものです。10年ほど前、同じ年の間に相次いで伯父と伯母を亡くなります。もちろん葬儀の段取りはすべて従姉妹が行いましたが、見ているだけでもとても大変だったと従姉妹の夫が言っていました。
私は母が亡くなったときのことを考えると、やはり弟に大方は頼っていたと思います。弟は母と一緒に暮らしていて、葬儀でも施主であり喪主でした。弟が主になるのが当然だと思っていたし、それに疑いもはさみませんでした。もし自分が一人っ子で、何もかも自分でやらなくてはならないとしたら、それはかなり覚悟のいることだったと思います。
私は子どもの頃、一人っ子である従姉妹を見ては大切にされている様子に羨ましさを感じていました。自分も一人っ子が良かったなどと思っていましたが、実は一人っ子であるということは自分が見送る側でも、見送られる側でも大変なことなのかもしれません。
一人っ子になった時点で将来が決まる?
自分が一人っ子になるかどうか、そこに自分の意志や希望は反映されません(私の従姉妹の場合のように、親の意志が反映されることはあるでしょう)。しかしよく考えると、一人っ子になるということは、将来一人で両親を見送ることが確定していることになるし、自分が見送られるときは、自分に関係のある人がほとんどいないことも確定しているわけです(これは見る人が見ると、寂しいとかわびしいと感じるだけで、実害はないと思いますが)。
自分の意志に関係なく一人っ子になるのに、結末は確定している、これは何だか厳しいなと思わずにはいられません。
これからは社会が変わるから大丈夫?
しかし、これから葬儀や墓の在り方が変わって行くでしょう。一人で切り盛りしても負担にならない葬儀なら良いし、維持するのに負担がない墓(もしくはそれに代わるもの)なら、たとえ一人っ子でもそれほどの負担にならないかもしれません。
先日亡くなった女性と言い、私の従姉妹と言い、誰もがとても大切に育てられた一人娘だと思っていたでしょう。ですが実際はとても厳しい状況に置かれていたわけです。私は傍から無責任に羨ましがっていて、申し訳なかったと思っています。
今思うと私の母が言っていたこともあながち間違いではなかったわけです。
きょうだいって絶対に居たほうがいいわよ。あんたも今にわかる!きょうだいが居て良かったって、私に感謝するようになるよ。
まあ、親の介護や葬儀のためにきょうだいがいるわけではないので、母の言うことがすべてにおいて正しいと言うわけではありませんが、一理あるとは思ってしまいました。一人っ子にも負担がかからない葬儀や墓なら、誰にでも優しいわけですから、早く社会全体がそっちの方向に変わって欲しいです。
それでなくても身近な誰かが亡くなるのは、負担が大きいです。省けるものはすべて省いて負担が減れば、少しは助かると言う人はきっと大勢いるはずです。