先程の記事で、夫が早くに両親を亡くしたために、親戚にいろいろと言われて悔しい思いをしたと書きました。
どうしても仕事を休めなかった夫が次弟に葬儀の参列を頼んだところ、親戚の男性に葬儀には何を置いても長男が参列するべきだ、そんなこともわからないのは親がいないせいだと面と向かって非難されたというのです。
会社員は葬儀だからといって休めないことも
もしかすると、かつての日本では葬儀という大変なことを差し置いて、自分の利益である仕事を優先するのは、恥ずべきことだったのかもしれません。そんなことをするやつは、村八分にされても仕方がなかったのかもしれません。
しかし、日本では随分前から、会社員が増えています。親きょうだいの関係ならともかく、続柄もよく説明できないほどの遠い親戚の葬儀では、仕事を一々休めないこともあるわけです。
夫を非難した親戚は家業を継いで、ずっと自営業(米穀店を営んでいます)をしていた人でした。会社員の立場などは一切わからないし、わかろうともしません。お酒が入るとあることないこと、大声で話す人でしたから、私はこの親戚の言うことなど、気にしなくても良いとすら思っていました。
悔しさのあまりの夫の行動は?
夫は悔しさのあまり、絶対に自分には非がないようしたいと考えたようです。悔しいから、相手の言うことなど無視してしまおうとは思わず、どんなに親戚が文句をつけたくても、つけようがないくらいの人間になろうとしたわけです。
どんなに関係が薄い相手の葬儀も参列する、気が進まない酒席にも率先して参加する、地域の役員も積極的に引き受ける、など夫はなんとかしてこの親戚の多い地域の中に(しかも早くに亡くなった父親の代わりとして)溶け込もうとしていました。
もともと夫は酒好きですが、文句をつけたくてウズウズしているような親戚と飲む酒はそれほど美味しいものではなかったようです。
夫の取った行動はムダだったのでは?
私には夫のした我慢や行動はムダなものが多かったように思います。まあ、自分自身の成長に役立った部分はあったのかもしれませんが…
そもそも夫に文句を言った親戚からして、別にその人がすべて正しいわけではありません。その人は自分が知っている世間の中だけで通用する規範を、夫に押し付けただけです。
もし、夫が職場に無理を言って休みを取り、仕事がうまく進まなくなったとしても、別にその親戚が責任を取ってくれるわけではないのです。文句を言う相手の立場のことなどまったく考えず、その場の勢いだけで言う文句など、本気にする方がおかしいです。
その親戚にも息子がいますが、果たして同じ状況のとき、無理に仕事を休ませるのでしょうか。私は夫には、そんな親戚の言うことを取り合わないための努力をして欲しかったです。
これからはこんなこともなくなるかも…
まあ、こんな思いをしてきた夫だからこそ、叔父の葬儀の席で喪主に対して「大変なことだけど、誰でも経験することだから」と言ってしまったのかもしれません。お互いに嫌なことは我慢して切り抜けましょうね、という労りの気持ちから出た言葉だったのでしょう。
しかし、葬儀の最中に大変な思いをしている人に対しては、ただ「大変だったね」と相手の苦労をねぎらうだけの方が無難です。他人が何かに大変な思いをしているとき、その何かがどんな色をしているのか、それは大変な思いをしている人が自分で決めることでしょう。
たとえ親戚でも、無理にその色を決めてかかれば、「いや違うその色ではない」と反抗する気持ちになってしまうと思います。
とにかく、コロナ禍の折に葬儀が段々と簡略化されて、家族葬が広く知られるようになりました。そのうち葬儀は家族だけで行うのが普通になるかもしれませんが、それならそれで良いと思います。いざこざも起こらず、誰の気持ちも平安でいられそうです。夫を見ているとそう思わずにはいられません。
その人の体験で言葉が変わる
それにしても、人の言葉に傷ついたり、腹を立てたりすることは誰にでもありますが、その言葉が出るまでには、いろいろなことがあることが段々私もわかってきました。
夫とケンカになったとき、「なぜあんなことを言ったのか」非難すると、夫はこう言うことが多かったです。
お前は俺の言葉を曲げて解釈している。俺は決してお前を悪く言うつもりはなかった。
そう言われるたびにそんなことがあるものか、と思っていましたが、その人が体験したことで、言葉の使い方は変わってくるようです。少なくとも夫を見る限りでは、そんなつもりじゃなかった、ということはどうやら本当にあるようです。
これからは親戚も減ってくるでしょう。夫が嫌な思いをすることも、私がそれを見てハラハラすることも減るに違いないと思うと、清々した気持ちでいられます。