我が家から歩いて5分くらいの場所に、夫の伯父が住んでいます。夫の母の兄に当たる人で、何かと私たちのことを気にかけてくれており、夫もこの伯父を大切に思っていることがよくわかります。しかし、私は、この人が善意で大量の野菜を持ってきてくれるのに少し(ではないかも)困っています。
野菜を前にどうしても笑顔になれない
確かに助かる面もあるのですが、4人家族では到底使い切れない量の野菜が届けられるのです。誰かにもらってもらおうとしたこともありましたが、度重なると誰もが「いつもありがとう。でも、もうウチはいらないわ」と言い出します。
夫は決して「食べきれない分は捨てるしかない」とは言いません。「頑張れば食べられる」だの「俺の弁当は毎日〇〇(そのときにある大量の野菜)でいいよ」などと言います。
私も決してもらった野菜を右から左に捨てようというつもりはありません。なるべくなら有効に活用したいと思っています。しかし、腐るまで行かなくてもしなびてしまったり、変色してしまったものまで我慢して食べたいとは思いません。
ただ、捨てるときに伯父からもらったものだということで、一層心が痛むのです。そんなとき夫に「頑張って食べたけど、食べきれなかったね。捨てるのも仕方がないよ」と言ってもらえれば、少しは気が紛れると思います。
けれど野菜を前に困惑している私の顔を見ると、夫は自分では意識していないかもしれませんが、怒った顔になるのです。
また野菜が来た
なぜ、今日になったこんなことを書いているかと言えば、昨日(12月30日)に伯父が野菜を持ってきたのです。太い大根3本、巨大なトマト6~7個、キャベツ4玉、ぶなしめじ・しいたけ・えのき茸などそれぞれ4パックずつ、じゃがいも1箱、みかん4kgなどを車に載せていました。
伯父は最近は体調が悪く、少し動くと呼吸がゼイゼイと荒くなります。そんなに載せてきた野菜も自分では下ろすことができず、私に下ろしてくれと言っていました。
年末の買い物を終えたばかりで、冷蔵庫に余裕もなく、多くの野菜は玄関や物置の中に置くことになりました。野生動物の餌になったらどうしようと心配ですが、仕方がありません。
こんなにまでして我が家に野菜を運んでくる伯父を見ていると、なんだか複雑な気持ちになりました。どうしてここまで…と考えると、少し怖くなりますが、これは叔父の愛情なのでしょう。
ただ、叔父の愛情は夫に向けられたものであることは間違いありません。しかし、大量の野菜を料理して夫に食べさせているのは私です。腐ったときに捨てるのも私です。そして、有効活用できなかった、と自分を責めるのも私なのです。
少しだけ、伯父がそこを考えてくれたら…と思いますが、それは無理な話なのでしょうか。
もっと感謝をしたいけど
以前、夫の叔母から毎年食べきれないほどの蕎麦をもらっていました。
夫はなぜか家で蕎麦を食べようとしません(当地では断然うどんを食べることが多いせいかもしれません)。それで、蕎麦はフードバンクに送ったりしていたのです。
叔母が亡くなったときに、もう少し感謝をすれば良かったと思いました。きっと伯父の野菜のことも、もうすぐ同じように思うはずです。
だから、もっと感謝をしよう、笑顔になろうと思うのですが、やはり今回もうまくいきませんでした。今日は今年最後の日ですが、何だかほろ苦い気持ちになっています。