今日は7月26日。当地のお盆は昨日で終わっていますが、今日はこれから先祖の霊を送りに行かなくてはいけません。
昨日のうちにお寺で塔婆をもらっていますから、それを持ち、お盆提灯に火をともして墓場に行くわけです。塔婆をもらったらその日のうちに先祖の霊を送っていく地域もありますが、私が住んでいる地区の人たちは、少しでも長く先祖の霊に家でくつろいで欲しいと考えているのかもしれません。
お盆はたとえ近所であっても、その地域によってまったくやり方が違います。なぜ違うんだろうと考えるのも、なかなか楽しいことなのです。
お盆が終わるとホッとする
今日は夫が昼休みにわざわざ帰宅して、先祖の霊を送りに行きます。これでやっとお盆が終わります。毎年のことですが、お盆が終わると急に気が軽くなって、のびのびとした気分になれるのです。
娘たちが幼い頃は、近所の親戚との行き来があったので、終わったらホッとするのも当然でしたが、行き来がほとんどなくなった今もお盆が終わるとホッとします。
やはり私はお盆を夫の家のこと、と考えており、自分がお盆のあれやこれやをすることに納得していないのかもしれません(それなのに30年もやっている…)。
今年もやはり不満が出る
それにしても、毎年送りに行くのは良いとしても、塔婆は何とかならないものかと思います。以前、塔婆はお寺に持っていくとお焚き上げをしてくれたそうですが、このご時世お寺でのお焚き上げは年に1回だけになりました。
しかもそれは新年に行われるため、塔婆を持ち込む人はいません。塔婆は自分で処分しなくてはならないのですが、塔婆を可燃ごみに出せる人はどれくらいいるでしょうか。私、正月飾りはごみに出せても、塔婆はちょっと…と思ってしまいます。
塔婆をもらいに行くときに駐車場が混んでいて、なかなか車が停められないのも毎年すごく嫌です。私は車の運転が得意でないため、駐車場に車が停められないときにどうしたら良いのかがわかりません。
どこにいても、自分が誰かの邪魔になっているような気がして、それこそ気が気でないのです。こんなに苦労してもらってくる塔婆ですが、もらったときからもう捨てることばかり考えてしまいます。塔婆ってどうしても必要なんでしょうか?
浄土真宗(実家の宗派)ではもともと塔婆がありません。だから、お墓周りはいつもスッキリしています。
まあ、毎年文句ばかり言っていても仕方がありません(本当はもっと文句がある)。今日はこのホッと一息つける感じを大切に味わいたいと思います。