6月、物価高に対抗するために無洗米を使うのをやめようかと思ったことを記事にしました。
往生際悪く、安い無洗米をスーパーで見つけては買っていましたが、米不足が言われだしてからはそれもできなくなりました。無洗米どころか米そのものが姿を消してしまったからです。
そろそろ新米の季節ですが…
先日スーパーに買い物に行ったときも、米が並んでいた棚は空っぽのままでした。7月にいつもの精米店で米を頼んだときには、8月の半ばを過ぎれば埼玉県内の新米が出回るから、それまでの辛抱だと言われたので、私も8月が過ぎるのを心待ちにしていたのです。
7月に頼んだときには無洗米ではなく、普通の米を注文しています。普通の米の方が、在庫が豊富だという印象を受けたのです。これで当分無洗米を買うことはないだろうな、と思いながらの注文でした。
昨日、ほぼ1ヶ月ぶりに米を頼みましたが、なんだか状況はあまり変わっていないようです。精米店のご主人は開口一番、「もう無洗米はなくなったんですよ」と言ったのです(私が十数年無洗米を買っていたから言ったのだと思う)。
在庫が底をついたということは、新しい米が入荷していないということではないでしょうか。やはり全国的な天候不順が今の事態を招いてしまったのかもしれません。
無洗米を買わないのは寂しい
無洗米は料理が嫌いな私をずいぶん助けてくれたように思います。明日は弁当が要るのに、寝る直前に米を研ぐのを忘れていたことに気づいたときなど、私は無洗米がなかったら弁当を作ることを諦めていたでしょう。
家族は無洗米と普通の米でそれほどの違いがあるとは思っていないです。私がもう、無洗米を買うのをやめると言っても、ほとんど反応はありません。確かに米を研ぐのなどほんの一手間ですが、その一手間が何十年も重なると私を圧迫するのです。
それが私にはわかっているので、無洗米を買うのをやめるのには思うところがあるし、なかなかスッパリとは諦められなかったのです。
普通の米の良さを再発見
ただ、普通の米を再び買うようになってみると、新たな発見もありました。以前のように気合を入れて研がなくても、十分においしいご飯が炊けることがわかったのです。普通の米が無洗米に近づいているな、という印象を受けました。
何年も前から言われていることですが、精米技術は年々進歩しているのでしょう。そして、あまり研ぎすぎない方が、ご飯が炊けるときの匂いが良いのです。今は毎日おいしそうなご飯の匂いを嗅ぎながら、毎日お米が食べられる幸せを感じています。
まあ、米全体が値上がりをしているため、当初の目的だった節約はできませんでしたが、これはもう仕方がないですね。
今はきっと身近にも、米が買えなくて困っている人がいるはずです。米が買えて嬉しいとばかりも言っていられないですね。早く必要なときに必要なものが買える以前の状態に戻ってほしいものです。必要なものは気兼ねなく買いたい…