今朝の新聞に、手を洗っても洗っても満足できず、段々と生活を圧迫するようになったという男性記者の体験談が掲載されていました。きっかけはエイズが流行りだしたときに、赤いものすべて血のように見えて汚く感じられたことだったそうです。
記者は結婚後も症状が改善せず、妻の勧めでメンタルクリニックを受診するほどでした。私は子どものときに、やはり手を洗うのが止められなくなったことがあります。きっかけは母の一言でした。トイレに行った後はキチンと手を洗うようにと、母はこんなことを言いました。
大腸菌の存在が不安で手洗いが止められなくなった
トイレの後の手には大腸菌がついているんだよ。大腸菌はトイレットペーパーも通り抜けるんだから、ちゃんと手を洗わないと。爪の間にも入り込むから、爪ブラシでよく洗ってね。
清潔を保つという点から、母は当然のことを言ったに過ぎませんが、小学4年生だった私は目に見えない大腸菌の恐ろしさが頭から離れなくなってしまいました。いつも以上に丁寧に手を洗うようになりましたが、もともと目に見えない大腸菌がちゃんと落とせているのかは、誰にもわかりません。
だから私は手を洗う回数と時間がそれまでの倍以上になっているのに、それでも足りず、爪ブラシで爪の中まで力任せにこするようになりました。それでも私は不安でいっぱいでした。母にも何度ももう十分だから手を洗うのを止めなさいと言われました。
しかし、母にも大腸菌が見えない以上、母がお墨付きをくれたところで私の不安はなくならなかったのです。
母の話に納得したら手洗いが治まった
結局なぜ私の手洗いが治まったのかというと、私に手を洗い続ける根性がなかったこともありますが、母が私に言い過ぎたと謝ってくれたことが大きかったと思います。
もともとこの世界にはたくさんの目に見えない菌がいること、それらのすべてが悪さをするわけではないこと、自分が健康なら菌も悪さをしないことなどを母は私に話してくれたのです。
だから、1日中手を洗い続けなくても、大丈夫だと言う母の話に私は納得できました。そのときの体験が効いているのか、私は今でも爪ブラシが生理的に嫌でほとんど使いません。今、私の手洗いは標準か、それよりも下なのではないかと思いますが、今のところなんとか生きています。
最近、よく風邪を引くなと思っていますが、それでも年に1度くらいです。私は成人するまでは月に1度のハイペースで風邪を引いていたので、それに比べれば年齢的なものを差し引いても、すごく免疫力が低いということもないと思っています。
他のことで不安を紛らわせる可能性も
不安で何かをするのが止められないのは、その人の性質も大きく関係していると思います。手洗いの他にも、何度確かめても鍵を閉めたか不安という人もいます。
実は私の母も出かける前には、戸締まりの確認をしていましたが、何度しても不安だったようです。指差し確認までしているのですが、その回数が10回や20回では収まらないほどでした。
私にも母の性質が遺伝して、不安になりやすかったのかもしれません。
多分私も母も、不安を紛らわすための行動が止められなくなったのでしょう。不安を紛らわすために、その行動(手洗いとか戸締まりの確認)に依存していたと言えるのではないでしょうか。
だから、手洗いが止められたからと言っても、私は他のことで不安を紛らわせようとする可能性があります。私はそれにも注意が必要だと思います。
あえてやらないという選択をする
実際に今でも私は不安になることがよくあります。どれも些細なことばかりです。鍵をかけたか、ガスを消したか、食べかけの何かを冷蔵庫にしまったか、などのことが不安でたまらなくなり、何度も確かめたくなります。
1度確かめると、次々と不安の種が出てきて、何度も確かめる羽目に陥ります。これは、やればやるほどその行動への依存が強まることの証拠だと私は考えています(あくまで個人の感想です)。だから、私はあえてやらない選択をすることがあります。
それで失敗することもありますが、大きな失敗ではありません。私も家族も元気に生きていますから、良いのです。
私は不安に支配されたくない
人間は誰でも不安になることがあるはずです。それを解消したいと思うのは当然のことですから、誰にでも不安を紛らわすために、何かに依存する可能性はあります。
不安のあまり何かをやらずにはいられないというのは、私の体験上、あまり愉快な状態とは言えません。私は不安に対抗したい、不安をねじ伏せたいという思いがあります。だから、あえてやらないという選択をするのだと思います。
手洗いが大切と言われ続けている、このご時世、手を洗い続けたくなる人も増えるかもしれません(だから、わざわざ新聞に記事が載るのでしょう)。
でも、あくまで自分の人生は自分が主役です。手を洗う、洗わないは自分で決めるべきです。不安のあまり、手洗い(その他の行動もです)に乗っ取られた人生を私は送りたくありません。
まあ、手洗いは良いことですけどね…