有意義な記事を書かないと、ブログを誰にも読んでもらえないというようなことを、いろいろな人のブログで読みました。確かに誰にも読んでもらえないのは寂しいし、アフェリエイトだってできません。
有意義な記事を書こうとしたけど…
私も少しでも多くの人に読んで欲しくて、自分なりに読んでもらえる内容を予測して、記事を書いてみたこともありました。でも、誰かの役に立つことを意識して書いた記事よりも、自分が感情のままに書いてしまった記事の方が多く読まれていることもありました。私がどんな記事を書くのも私の自由ですが、どんな記事を読むのかもその人の自由だということがよくわかりました。
女性でブログを始めようという人は、みんな筆子ジャーナルの筆子さんのことはご存知でしょう。潔く不要な品物を処分して、自分らしい生き方で突き進んでいる姿に、憧れた人も多いのではないでしょうか。私も4年ほど前から、時おり筆子さんのブログを楽しく読んでいました。現在は書籍も出版されて、一層多くの人に知られるようになっています。
筆子さんもブログを始めてからしばらくの間はほとんど誰にも読んでもらえなかったそうです。その期間は10年ほどだったといいます。
筆子さんの言葉に目が覚めた
そんな筆子さんは、有意義な記事を書けとはいっていません。自分の物語を書け、といっています。ブログに読者がいないのは(つまらないのは)、自分の本当の気持ちが出せていないからだそうです。 世間にはたくさんブログがあるのに…以下省略
確かに、同じことをどこかで聞いたなと思いながら、記事を読んでくれる人はいないでしょう。私だって、どこかで見たような記事なら、途中で読むのを止めてしまいます。
筆子さんの文体には、とても力があるので、何だか目が覚めたような気になりました。
私たちは決してブログから、豆知識だけを得たいわけではありません。その人だけの考え方に触れたいと思ってブログを読んでいるはずです。
誰かとのおしゃべりは、その場で消えてしまう言葉もたくさんあります。でも、ブログは文字になって残るものですから、じっくりとその人の考えに触れることができて、自分の栄養になっていく気がします。だから私自身、パートがうまく行かないときや、母の病気のときに同じ境遇の人がいないかと、いろいろなブログを読み漁ったのだと思います。苦しいときだったので、心に栄養が欲しかったのですね。
ブログを書くとき、私ができること
私はブログを始めた頃に、誰かを少しでも元気にしたいと考えていました。有意義な記事って、どんな記事?
自分がブログから得た、安心感や満足感を誰かにお返ししたくなったのですが、よく考えてみると、その人にとって有意義かどうか、元気になれる記事かどうかはその人が決めることで、私がとやかくできることではありません。それはどんな記事をその人が読むか、と同じことです。
だから、私は筆子さんのように、自分の気持ちをキーボードに叩きつける気持ちでブログを書くことにします。それが私にできる唯一のことだと思っています。だから私の書く記事は有意義ではないかもしれません。でも、一生懸命に書くことはお約束したいです。