怖いけど読みたくなるブログ

ブログ好き

何日か前から、読んでいるブログがあります。何回も読んでいるのに、まだブックマークしていません。だから読むときに、ちょっと手間がかかります。

面白いのに、ブックマークができない理由

なぜ、ブックマークしていないかというと、怖いのです。ブログに書いてある内容が。でも、怖くても手間がかかっても、また読んでしまう、そんな不思議な魅力があるブログのタイトルは「毒親育ちの子育て&本当の話」、ブログを運営しているのはチャコさんという女性で、プロフィールには毒親育ちだけど、幸せに子育て中だとあって少しホッとします。

チャコさんのブログを読んでいると、どの記事も話の内容が激しくて、まるで小説を読んでいるような気持ちになります。チャコさんの両親、妹、周りの人たち言動を見ていると、人間ここまでひどいことが言えるのか、できるのか、と恐ろしい気持ちがしてきます。

チャコさんが結婚する際、両家の初めての顔合わせで、チャコさんの両親が、あることないこと織り交ぜて巧みな悪口をいい続けた話などは、読んでいて胸が苦しくなりますが、その両親のことをありえない、とは思えない自分がいます。それが私は怖いのです。今毒親という言葉はかなり知られるようになってきていますが、決して特別なことではないのではないか、と思います。

毒親要素は誰にでもある

濃度の差はありますが、誰でも毒親のエッセンスを持っているのではないか、チャコさんのブログを読んでいると、その考えが頭から離れなくなって本当に怖いのです。でも、面白いです。とても自分のことを書いているように思えない、突き放した見る目がブログの文章に現れています。

自分のことをなんでそんなふうに見られるのか、と感心しながら、次から次に記事を読みたくなりますが、あまり読みすぎると、ちょっと体に悪いような気もして(チョコレートを食べすぎると、体に悪いとか、そんな感じです)止めておきます。

チャコさんの両親ほどではありませんが、私の母も子どものことを人前で謙遜していました。それは構いませんでしたが(別に無理してほめる必要はないですから)、謙遜しているうちにそれがエスカレートして、私には悪口をいっているように思えてなりませんでした。私のダメなところや性格について、面白おかしく脚色して、話の種にしていました。

私は母にそれについて文句をいったことがありました。自分がいないところで何をいわれても構わないが、いる前でいわれるのは困る、といったのです。母はこう言っていました。

母

子どもには、つけあがらないように、本当のことを教えてあげてるの!

だから私の容姿についても、母には散々ないわれようでした。それも子どもがつけあがらないようにという愛情だったそうです。親が本当のことを教えなければ、誰が教えるのか、とも母はいっていました。
そして、その母の血は私にも流れています。私が毒親ではないという保証はどこにもありません。

チャコさんのブログで、自分を振り返る

自分の中に毒があることを、ともすれば人は忘れてしまいます。忘れたフリをしているといったほうが正しいかもしれません。チャコさんのブログは、そのことを忘れるなよ、といっているように思えてなりません。

チャコさんのブログを読んで、怖いと思うのは、もしかすると一皮むいた自分の姿をパッと見せつけられるからかもしれません。そしてなぜか人は怖いもの見たさというものを持っています。だからついついチャコさんの、ちょっと毒を感じるブログを読みたくなってしまうのでしょう。

チャコさんのこれからを勝手に気にしています

チャコさんの両親はまだお元気なようです。これから両親が年をとってくるとまた、いろいろと厄介なことが起こるんだろうな~、と他人事ながら心配です。今は両親と距離をとっていても、年をとって病気になったり、手助けが必要になると、どうしても距離を縮めなくてはならなくなるからです。

たとえ距離を置いたとしても、その相手への気持ちはそう簡単に変わるものではありません。
距離をとることで保っていた平安は、距離がもとに戻った途端に崩れてしまいます。
私はこれといったトラブルがなかったにもかかわらず、母が晩年病気になるまで、母との距離は縮まりませんでした。チャコさんがこれからどんなふうに、人生を乗り切っていくのかも、とても気になっている私です。

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