辛い思いを分け合いたい

ブログ好き

ブログを始めようと思った時、私はブログを読むのが大好きだから、いろんなブログを紹介したいと思っていました。でも、人のブログを読んでいて気がついたのは、誰かと辛い思いを分け合いたいという願いでした。

家族がいるから辛い思いをする?

生きているとどうしても家族について考えることが多くなります。そのときどきで気になることは変わりますが(例えば母が病気のときは看病している人のブログが気になりました)、最終的には家族のことに戻ってくるようです。

今回私が気になったのはつぶあんこさんの「つぶあん日記」というブログです。具体的なことは書いてありませんが、娘さんについて悩みがあるようです。記事を読んでいると実家の家族にも複雑な思いを抱えていることがわかります(記事はこちらです。「心がキリリと痛くなる、昔のこと」)

我が家の次女も引きこもり生活が長くなり、ふとこの先どうなるのだろうと考えることがあります。このブログに次女のことを書くとき、どうしても引きこもりという言葉を使ってしまいますが、自分で使っているのにもかかわらず、「引きこもり」という言葉に引っかかりを覚えたりしてしまい(自分は次女のことを引きこもりという言葉に閉じ込めて、差別しているのではないかと思えることがあるのです)、ちょっと自分が平静ではないな、と思わずにはいられません。

理由もないのに実家が好きではない

私は次女のことについて、私が育てたからこうなったのかと考えてしまうことがあります。私の実家は環境は良くも悪くもなかったと思います。私が中学2年生のときに父が倒れてからは、母が働いて生活を支えてくれました。そして私と弟をちゃんと進学させてくれました。

本当は感謝をしなくてはならないはずですが、実家はどことなく居心地が悪く、私は大学を卒業して就職をすると、引っ越し資金を貯めて一人暮らしを始めました。3年暮らした後は結婚したので、55才の現在は実家から出て生活している年月の方が長くなっています。

それでも、母が急に入院したときは私が病院に通ったし、最後の入院のときは弟と協力して乗り切りました。弟は実際に「俺一人ではどうなったかわからないよ。本当に姉貴がいてくれて助かった」と言ってくれました。

それでも私は家族との関係がちゃんと結べなかったと感じ、子どもを育てるときも自信が持てませんでした。とにかく私は自分がされた育児を子どもにするのが嫌でした。だから私が実家に対して反感を持っていたのは事実のようです。私は私の育児をするのだと思っていましたが、今の次女を見ているとそれが間違いだったのかと考えてしまうのです。

そして今からではどうしようもないと思ってしまいます。

ブログで思いを分かち合うとは

つぶあんこさんがブログに悩んでいる様子を書いてくれたおかげで、少なくとも私は『私だけが悩んでいるわけじゃないんだ』と感じ、私も同じだということを伝えたくなりました。もしつぶあんこさんがブログに悩みを吐き出したいと願っているなら、私はそれを読むことで重い悩みの端っこを持ってあげることができると思っています。

私も自分のブログに次女のことを書いて、誰かに読んでもらうことで次女に対する暗い思いを誰かに持ってもらっていると思っています。読んでもらったことで、これだけの人が読んでくれた、私の思いを知ってくれたと思い、うれしくなります。一人では持ちきれないほど重くても、誰かと分け合うことでしばらく息をつけるのではないでしょうか。

しばらく息をついたらまた人生を進んでいけばよいのです。進んでいるうちに何か状況に動きが出るかもしれません。良い方ばかりに進むとは思っていませんが、それでも膠着状態よりは良いと思っています。つぶあんこさんにも「お互いに前に進みましょう」と言いたいです。余計なお世話かもしれません。すみませんでした。

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