12月のお別れ

生活

近所に住んでいる女性が亡くなりました。すごく親しくしていたわけではありませんでしたが、自治会の班長を一緒に務めたこともあり、思い出がある人だったので、昨日の夕方、門送りに行ってきました。小さな体で、ほがらかで明るく笑う女性でした。

冬の見送りは、より寂しい

私が住んでいる地域では、通夜・告別式に参列すると、かえって遺族に負担をかけてしまいそうだと思ったら、門送りに立ちます。普段の服装を少し地味にして、自宅から葬儀場に向かう人に手を合わせて見送ります。見送るだけなので、遺族は香典返しの心配をしなくても済みます。

昨日は昼間は太陽が出て、とても暖かかったのに、夕方になると一転して冷たい風が吹き出しました。門送りに出てきた人たちは、みんながとても寒そうで、涙目になっている人もいました。

亡くなった人は65歳、私より10歳年上です。誰もがなぜ亡くなったのかわからず、突然のことに不安げな顔をしていました。ごく近所に住んでいる人が、救急車が来たと思ったら、翌日はもう亡くなったと知らされた、といっているのが唯一の情報でした。

残された家族は、あいさつもままならない程、憔悴していました。突然の別れを受け入れるのは、どんな人にとっても難しいんだな、と感じさせられました。人が死ぬのに、よいも悪いもないけれど、私は母を少しは看病させてもらえて、実は幸せだったのだということもやっとわかりました。

突然の別れを受け入れられなくても、亡くなる人にはそれはコントロールできません。周りの人は、受け入れざるを得ないのです。冷たい風に吹かれていると、次々とそんなことを考えてしまいました。

12月は寂しい、辛いものだった

それにしても、12月にはいろいろとあるものです。私の父が49歳で脳卒中になり、倒れたのも、夫の父が交通事故で亡くなったのも12月のことでした。12月という月には、人につけ込む何かがあるような気がしてなりません。心なしか事故も増えるような気がします。

私は世の中の人がみんな穏やかな気持ちで、お正月が迎えられるとよいと思っています。
12月に何かあると、世の中の人はみんな幸せそうなのに、自分だけが不幸を背負っているような気になってしまいます(多分クリスマスやお正月があるせいです)。本当は、どんな人でも何かを背負っているので、自分だけが不幸なはずはないのに、それもわからなくなってしまうのです。そして、もっと不幸になるような気がします。春や夏なら、受け止められることも、12月だと受け止めきれなくなってしまうのかもしれません。

父が倒れたときに、私は中学2年生でしたが、世界がガラリと変わってしまったような、暗い気持ちになりました。子どもながらに生活が心配でした。でも、それからずっと不幸だったかというと、そんなことはありませんでした(よいことばかりでもありませんでしたが…)。

今年も無事に終わって欲しい

久しぶりに12月は寂しい、辛いという気持ちを思い出しました。12月が寂しい、辛いと誰もが感じることがあるかもしれません。でも、そんなときばかりじゃないよ、と私はいいたいです。きっとその次に巡ってくる12月には、きっとホッとできるはずです。
どんな人にも、のんびりコタツでみかんを食べる、そんな時間が返ってくるでしょう。

今年も後少しです。無事に終わってほしいと願ってやみません。

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