亡くなった人の日記

日記 生活

今朝の新聞に、亡くなった父の日記を読んでもよいかという悩み相談が載っていました。私の母も、チョコチョコと自分の気持ちをノートに記録していました。

捨てられた母の日記

私は自分がブログを読むのが好きなだけあって、母の日記にも興味津々でした。母の遺品を片付ける際に見つけたそれを、後で読もうと思っていました。そのとき読むと手が止まってしまいそうだったし、なぜか続けて読むことはできませんでした。

後日弟に母の日記が出てきたと話すと、弟はあれは捨てたから、と答えました。後は一切日記について話すことはありませんでした。私は日記が惜しかったという気持ちから少し不満でしたが、よく考えると弟の行動は正しかったと思います。

今朝の新聞でも、故人にもプライバシーがある、という意見でした。自分の死後、自分のブログを見られたら嫌なように、母も日記を見られたら嫌だろうと考えるべきでした。ブログは他人が読むのを前提にして書いていますが、日記の類はそうではありません。だから自分の子どもや孫が読んだら、余計に母も嫌でしょう。

私は昔から、自分の弟を褒める姉ではありませんでしたが、今回のことで弟は一人のまっとうな大人に育ったのだな、と実感しました。母はよく子育ては失敗だったと嫌味のように繰り返し私たちにいっていましたが、弟についてはそんなことはなかったよと伝えて、労ってあげたいような気持ちになりました。

日記を読みたかったけど

しかし、日記の類には本当に楽しさがあると思います。

私は日本の昔からの文豪の小説はつまらなくて読めなくても(国文科出身なのに…)、生活を記した随筆なら読めます。その人の人柄や生活がよくわかって、ブログを読むのと同じ楽しさがあります。

小説も面白いですが随筆のの楽しさはもっと距離が近いような気がします。他人の書いた文章を読んで、そうそう、私も同じ、と頷けるのは楽しいし、場合によっては救いになることもあります。

随筆でもそうなのですから、日記なら、距離はもっと近くなるはずです。母の日記を読んで、あのとき母はこんなことを考えていたんだ、などと懐かしみたかったという思いは今も消えていません。父が早くに病気で働けなくなって、人一倍苦労したので、母の思いを少しでもわかってあげるためには、日記が役に立ったような気もします。

母の日記には縁がなかった

でも、見つけたそのときに読めなかったのですから、私の方にも読めない理由があったのでしょう。読んだら、自分が辛くなったかもしれません。辛い思いをするところを弟に助けてもらったと思って、日記のことは諦めることにします。諦めないとしても、私にはもう母の日記を読むことはできないのですから。

私が死んだ後にも、誰かが思いやりを持って、このブログを閉鎖してくれるとよいな、と思っています。

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