昨日、仕事だった長女が帰ってくるとカルディの紙袋を渡してくれました。中は写真の通り、ナッツ類とフォンダンショコラでした。私が好きでよく食べているナッツ類とそれだけでは少し寂しいと思ったのでしょうか、華やかなパッケージのフォンダンショコラを一緒に贈ってくれたようです。
仕事の帰りにわざわざ好物を買いに店に寄ってくれたことが嬉しかったです。それとあまりプレゼント然としていないところも。プレゼントもあまり仰々しくなると、嬉しい反面、私はちょっと負担に感じてしまうところがあります。
子どものころから母の日が苦手
もちろん母の日に文句をつけるつもりはありませんが、何だか母の日ってどうしても感謝の気持ちを表さなくてはならない状況になるところが母になる前から苦手でした。特に子どもの頃は、感謝の気持ちを表すにはどうしたら良いのかわかりませんでした。
お小遣いで何かを買おうかと考えたこともありましたが、それほどたくさんもらっているわけではなかったため、思うようなものは買えません。すべてを母の日のプレゼントにつぎ込んでしまうと、お小遣いは足りなくなってしまいます。それにお小遣いそのものが父や母の懐から出ていることを考えると、お小遣いでプレゼント買っても仕方がないのではないか、と思えてしまったのです。
自分のお給料が入るようになって、初めて気兼ねなくプレゼントを買えるようになりましたが、やはりそこには壁がありました。母がプレゼントに文句を言うのです。贈る前から、服やバッグは好みがあるから要らない、花は枯れるから要らない、お菓子類は健康に悪いから要らないと言われました。私は一体何を贈れば良いのか、母の日が近づくと悩むようになったのです。
それでも私は母の日にプレゼントを贈り続けました。贈らないと母に「お前は冷たい、そっけない」と文句を言われるような気がしたからです。実際にプレゼントと関係ないときでも、私は度々母にそう言われていたため、母の日にプレゼントを贈らないなんて、怖くてできませんでした。
結局今も母の日が苦手
母が亡くなった後、実家を片付けたときに、私が贈ったプレゼントがそのままの状態で出てきました。ほとんど着た形跡のないブラウス、バッグなどが何点もです。もったいなくて使えなかったんだとは思えませんでした。私が思ったことは1つだけ。『お母さん、やっぱり気に入らなかったんだな…』
だから今でも私は母の日が苦手なままです。お母さんに感謝の気持ちを伝えるのは悪いことではありませんが、そんなに感謝しなくてはいけないものか、とも思います。だって大体の場合、お母さんもお父さんも、自分の希望で子どもを生みますよね。その子どもがそんなに感謝をしなくてはいけないのでしょうか。
だから別に母の日に何もする必要はないと思っているし、実際に次女は何もしません。しかし、長女は自分が学校を卒業して、収入を得るようになったときから、ずっと母の日と父の日にちょっとしたものを贈り続けてくれます。これは長女の心がものに姿を変えたのだと思って、ありがたく受け取ることにします。そうして美味しく食べます。
まだ、ちょっと私の心は頑なですが、そのうち長女からのプレゼントを心底楽しめるようになるかもしれないです。でも今は、食べ物以外のものをもらったら、きっとまだ負担に感じてしまうだろうな…まあ、楽しめるようになる頃には、母の日ではなく敬老の日のプレゼントということになるかもしれませんが。
ちなみに昨日は母の日ではありませんが、長女はてっきり昨日が母の日だと思いこんでいたそうです。だから一生懸命買ってきてくれたんだね。ありがとう。日本全国の母の日を祝う子どもの皆さん(年齢は関係なし!)もありがとう。良い母の日を。私はおやつにナッツを食べる他はいつものように過ごします。