母の日のスーパーで思う・特別なプレゼントは心の負担になるから、ちょっとしたものが嬉しい

カーネーション 季節

今日は5月の第2日曜日、母の日です。買い物に行ったらスーパーはとても混んでいました(ポイント3倍デーのためもあると思います)。私よりも若いアラフォーやアラフィフの女性が、カーネーションの小さな花束を手にしているのを見かけると、かつての自分の姿と合わせて『大変そうだな~』と思うのでした。

ちょっとしたものなら心の負担なく受け取れる

長女は昔から母の日とか父の日には気を遣って、毎年ちょっとしたプレゼントを贈ってくれます。私は、このちょっとした、というところが良いのだと思います。豪華だったり大げさだったりも、きっと嬉しいのでしょうが、こちらもそれに応じた喜び方をしなくてはならない、と私は思ってしまい、それが重荷になったりするのです(喜びを素直に表現する自信が私にはありません)。

今年は仕事の帰りに何か買ってくるけど、ケーキとアイス、どっちが良いかと聞かれました。アイスと答えたので、今日のおやつにはアイスクリームが食べられます。私にはこれくらいがちょうど良いです。

今日、スーパーを歩いていて、何か母の日に特別なプレゼントをあげよう、などと考えるのは、みんなすでに家庭を別に持っている人なのかもしれないな、と思いました。普段一緒にいられない分、母の日などのイベントに力を入れるのかもしれません。自分も家庭を持ってみて、親の苦労が実感できたという人などは特に感謝の気持ちを表したいと思うのでしょう。

子どものプレゼントは心の負担とセットになっている?

いろいろな考えの人がいるとは思いますが、私は子どもから花をもらっても、それが枯れて捨てるときに心が痛むし、ましてや自分の子どもから、バッグや財布をもらったらそれが壊れても、一生捨てられないかもしれません。食べ物だって、ケーキなどは早く食べないと味が変わってしまう、と気が急いてしまうのです。子どもからのプレゼントって、嬉しいのと同時に実は心の負担になるものかもしれません。

私は実家の母が生きていた頃、母の日が近づくと、今年は一体何を贈ったら良いのかと憂うつでたまりませんでした。母は何を贈っても喜ばないし、かと言って母の日を無視すると機嫌が悪くなるかもしれない、と私は考えていました。

しかし、母も今の私のように考えていただけだったかもしれません。母は喜ばないと私は思っていましたが、それも単に喜びの感情をうまく表現できないだけだったのかも、と今になって思っています。

これからの母の日に対する希望

スーパーやデパートのチラシや幼稚園などの教育の場では、母の日をかなりプッシュしています。それが積もり積もって、この日は特別だから、何かをしなくてはならない、と私たちの精神に刻みつけてしまったのではないでしょうか。何とかもう少し、母の日がさり気ない存在になると良い、というのが今の私の希望です。

考えてみると私は別に頼まれて母になったわけではありません。それどころか自分から進んで母になったと言えるでしょう。だから、一方的に子どもたちから感謝をされるいわれもないのです。本当にアイスクリームを買ってきてもらうだけで、私も感謝です。

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