婦人茶話会

生活

先日は、婦人茶話会に行ってきました。年に1度同じ地域に住む女性たちが集まり、お互いの無事を確かめ合い、情報交換をしつつ、おいしいものを食べ、カラオケや踊りで盛り上がる会です。これはちゃんと自治会の行事として成立しており、市から補助金も出ています。

私が住んでいる地域ではかつては養蚕が盛んでした。養蚕が一区切りついたときに、村の女性が集まって息抜きをしたことが始まりで、かつてはお白講と呼ばれていました。

感想は、疲れた!

結論からいうと大変疲れました。会はお昼の12時から午後2時半くらいまでですから、そんなに長時間ではありませんし、当番以外は仕事もないので、座って、食べて飲んで喋っていればよいのです。でも、それが私にはとても苦痛です。

私は1人の人と喋るなら、それほど苦痛を感じません。でも、大勢になるとダメです。誰とでもにこやかにまんべんなく話をする芸当はとてもできません。しかも集まっている人たちの年代は自分の親の世代ともう少し下の人が多いのです(70代後半から60代半ばという感じです)。

世代の違う人たちと一緒に楽しむことが私にはとても難しいです(今の私だと、同年代の人たちとでも難しいでしょう)。これをしなさいと、命令されてずっと仕事をしているならどれだけ楽かと思います。だから私は当番のときは、かえって気楽に出席できます。

やりたくない人たちもいる

この会の当番は自治会の班が持ち回りで行います。私が住んでいる地区には、全部で11の班がありますから、10年に1度の当番だと考えればよかったのですが、出たくない会の当番はやりたくない(婦人茶話会は若い主婦には人気がありません。平日働いている人にとって、せっかくの休日を費やすのですから、出たくないと考える人がいても不思議ではありません)、と訴える人たちが出て来ました。そして高齢化により、やりたくても当番ができない班も出てきたのです。

今よりももっと頻繁に当番をしなくてはならないかもしれない、出席者もこれからドンドン減ってくるために、今はにこやかに出席している人からも、そろそろ婦人茶話会も終わりではないか、という意見が出てくるようになりました。市から補助金が出ている会だから、あまり参加者が減ってしまっては、成立しないだろうという考えの人もいるようです。

しかし自治会の上の立場の人たちは、自分たちの任期中に行事を終了することに対して、腰が引けている状態です。もし後から文句をいわれたら、困ると考えるのは当然なのかもしれません。でも、キレイな終わりを用意してあげるのは、大切なことに思われます。

違う年代や立場の人を切り捨てている?

結局会の最中には、それほど突っ込んだ話もできずに、お開きになりました。

世の中にはいろいろな年代、立場の人たちがいることが当然です。それがちょっと偏って、凝縮されているけど婦人茶話会で再現されます。違う年代や立場の人といることをこれほど、面倒に感じ、疲れてしまう自分って何なんだろう、と私は考えました。こうやって違う年代の人が生きていることを無視して生きていくように、私もなっていくのかもしれません。それでよいのか、という疑問も頭の中からなくなりません。

でも、婦人茶話会は疲れるから、あまり行きたくないのも正直な気持ちです。まあ、何ごともなるようにしかなりません。将来誰かに、昔は茶話会というものがあってね、と私が誰かに話しているかもしれませんね。婦人茶話会が終わると、すぐにひな祭りが来ます。もうすぐ春です。

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