私が住んでいる地域では、洋服などは資源ごみの日にそのままの状態で出せます。以前は金属製のジッパーは取って、などの手間をかけなくてはならず洋服の処分はハードルが高かったのですが、今は楽になりました。
とは言え、肝心の資源ごみの日は月に2回しかないため、出しそびれるとごみをずっと自宅で保管しないとならないです。ハードルは低くなっても、不要な服を溜め込むのは自分で自分の首を締めるようなものだとずっと思っていました。
気がつくと不要品が溜まっている
しかし、なぜか気がつくとなぜこんなものがまだあるのだ?というものがクローゼットの隅にかかっていたりします。先日は夫の30年以上前のブルゾンとシャツを捨てました(写真のものですが、どちらも放置しすぎて、シミだらけになっていました)。
これはもう、人間が生きている限り新陳代謝をするようなもので、不要な服(だけに限らないと思います)が溜まっていくのも仕方のないことかもしれません。それに不要な服があったとしても、それらがうまくタンスなどに収まっている限りは、それがジャマだと感じないため、不要品があることにも気が付かないのかもしれません。
私の母は亡くなる前に「私はもう、断舎離してあるから、誰にも迷惑はかけないわ」と言っていました。しかし、亡くなったあとにには服だけでも、相当な量が残されており、そのどれもが古くて母も着られなかっただろうなあと感じさせるものだったのです。
母が亡くなったとき、私は51歳でしたが、その私が20代のころに母が着ていたものなどがたくさん残されていたのです。母はまさか私に見栄をはって断捨離が終わっていると言ったわけではないだろうし、きっと不要品が不要品に見えなくなっていたのでしょう。
代謝が悪くなって不要品が溜まる?
いくら終活だからと言って、必要なものまで捨て過ぎると自分の生活の質が下がってしまいますが、母が残していたものは、肩パッドが入ったようなスーツなどで母の生活に役立つとは思えませんでした。しかし、誰もが必要なものを必要なだけ手元に残してスッキリ生活できるものではないのでしょう。
私は甲状腺の病気を持っていて、普通の人に比べるととても代謝が悪いのだそうです(甲状腺ホルモンを補充すれば普通の人と同じです)。私は人間の身体だけでなく、持ち物についても同じようなことが起こるような気がします。病気でなくても年を取ると代謝が悪くなると言われています。持ち物も含めての自分だと思うと、こんなものがまだある!と思うのも仕方がないと言うよりも、当然のことだと思えてきます。母だってきっと持ち物の代謝も悪くなっていたのでしょう。
だからどうすれば良いのかという話ですが、要は自分が代謝が悪くなっていることを自覚することなのだと思います。自覚をすれば運動をしてみようとか、暴飲暴食はしないとか対策を取ることができます。物についても同じで、自分のもとに不要な物がきっとあるから見つけようという気持ちを忘れないでいると、あるとき突然不要品がはっきりと分かるのではないでしょうか。
しかし、大切に保管しておいたはずのものがただの不要品に変わっているのは、何度経験しても驚くし、少し怖いです。これからは買い物するとき(物を招き入れるとき)は、もっと気を引き締めたいと思います。