私は今、偉人伝ができる現場にいるのかもしれない、と思っている

生活

安倍元総理が国葬になるそうです。彼の亡くなり方はとても気の毒でした。だから勲章を授与したと聞いたときも、なんとも思いませんでしたが、すべてを国費で賄う国葬にするというのは、ちょっとどうなんだろう、と思いました。

死んだら良い人になるのは、あるあるだけど

それでなくても、ここ数日安倍さんの美談ばかりが取り上げられ、さまざまな疑惑はどこかへ行ってしまったようです。官僚が安倍さんに忖度をした結果、自殺へと追い込まれた方もいましたよね?それなのに、亡くなった途端に素晴らしい方だった、となるのには疑問を感じざるを得ません。

国葬にしようという声が出ても、安倍さん側でそれを断るくらいの気持ちを持っていて欲しかったです。確かにこの日本で安倍さんが狙撃されて亡くなる、ということはあってはならないことだったと思います。しかし、国葬にしたところで、この実際にあったことを書き変えることにはならないでしょう。

この唐突な国葬という言葉で、安倍さんの死を美談に書き変えて、何かに利用したい人がいるのではないかと、私は勘ぐりたくなったほどです。例えば、現在日本の国民の間にはさまざまな不満がくすぶっているはずです。コロナ禍やウクライナ侵攻のあおりで経済的な不満を抱えている人は多いでしょう。その不満から目をそらすために、国民の税金をたくさん使ってでも国葬をやりたいのだと、思えてならないのです。

安倍さんの死で国民が一致団結して、民主主義を脅かす敵に立ち向かう、というシナリオが作られているように私には思えますが、仮想敵を作るのは、昔から都合の悪いことから国民の目をそらすために、独裁者が何度も使っている手です。

実は偉人伝はすべて作られたものだった?

私は子どもの頃、偉人伝を読むのが大好きでした。子どもが大人へと成長していく過程で、ドンドン立派な人になって行くのを読んでいるとワクワクしたものです。しかし、安倍さんのことがあってから思うようになりました。

偉人伝もすべては誰かが、国民の心を操作するために作ったものではなかったのか。喜んで読んでいた子どもたち(偉人伝は学校の図書室にありましたから)は、まんまと誰かの思う壺にはまってしまったのかもしれません。

しかし、同時に私は今、新たな偉人伝ができる現場にいるのかもしれないとも思います。数十年後に現在のことが教科書に載っているかもしれない、とも思います。これはこれでけっこうワクワクします。こんなことを考える私は、やはり子どものときに誰かの思う壺にはまっていたのでしょう。

国葬よりもやった方が良いことがある

ところで安倍さんを狙撃した犯人の半生を知ると(テレビや新聞で報道されているのを見聞きしただけですが)、とても気の毒なことがわかります。だからといってあんなことをして良いという理由にはなりませんが、彼もまた被害者であることは明らかです。

にっちもさっちもいかない状態に長く居ることによって、犯人は正常な判断ができなくなったのでしょう。

仮想敵を作り、国民を一致団結させても、あのような人々を無視すれば、また同じようなことが起きるでしょう。国葬をするお金があるなら、困っている人を助ける方に回したほうが良いのではないでしょうか。

まあ、国葬については単なるお知らせで、もう国民の意思などは入る余地がないでしょう。ですから、この記事は単なる私の国葬についての感想でした。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 子育て終了主婦へ PVアクセスランキング にほんブログ村

よろしくお願いします。

タイトルとURLをコピーしました