昔からいろんな生き方がある

生活

我が家は夫の実家の敷地内に家を建てて生活しています。敷地内同居の話をブログに書くとき、夫の祖母と弟のことは書いていましたが、夫の実家にはもう1人の家族がいました。それが祖母の姉です。伯祖母(はくそぼ・おおおば)と言うらしいですね。

夫はこの人のことをおばさんと読んでいました。

私も会ったことはなかった

おばさんは私たちが家を建てる前に、家の中で転んで大腿骨を骨折、寝たきりとなり老人専門の病院に入院してしまい、そこで一生を終えました。夫の実家は男児が早く亡くなったために、私たちと敷地内同居をしていた祖母が末子なのに、婿をとり、跡を継ぎました。

おばさんは子どものときから脚が悪く、結婚をしなかったため、跡を取らなかったということです。また、真面目な人柄でしたが、他人と関わることが嫌いだったようで滅多に人前に出なかったのも関係していたのかもしれません。

とにかくおばさんは隠れるように生活していて、私は家を建てる前に何度も夫の実家に足を運んでいますが、後ろから覗いているのは感じましたが、最後まで言葉を交わしたことはありませんでした。

挨拶くらいはした方が良いのではないかと思い、夫に尋ねるとこんな返事が返って来ました。

おばさんが嫌がるから、無理に顔を合わせようとしないで。ソッとしておいた方が良いんだよ。

初めて顔を見たのは葬儀だった

おばさんは1996年に亡くなりました。もう90歳に近かったのですが、遺影に使う写真がありませんでした。隠れるように生活をしていたため、写真を撮る機会がなかったのです。やっと探し当てた1枚は、おばさんがまだ50代の頃のものでした。

そして私はおばさんが亡くなってから、初めておばさんの顔を見ました。話にだけは聞いていましたが、顔を見たことがなかったため、私はどこかおばさんの存在が嘘のように感じていたようです。顔を見た瞬間『本当にいたんだ…』と思ってしまいました。

葬儀の後から、夫はポツポツとおばさんの話を始めました。草取りがとても上手で、おばさんがやった後は土が平でつるつると固くなり、終いには草が生えなくなるのだと言っていました。脚が悪いのに、いつの間にか草取りをしてくれたそうです。

近所の人も、そんなおばさんのことを1人の働き手として尊重してくれたと夫は語りました。私は夫の話から、おばさんは大切な村の仲間だったのだろうと感じました。

私は夫の祖母のこともとても草取りが上手だと思っていましたが、確かにおばさんが亡くなると、少し家の周りの草が増え、荒れて見えるようになったと思います。

人から見て幸せに見えなくても

写真1枚を探すのに苦労する程、ひっそりと生活をしていたおばさん、近所に住む人の中にも、おばさんのことを知らない人もたくさんいました。我が家の昔からのご近所で、婿養子をとって家を継いだ女性がいますが、彼女もまったく知らなかった、と葬儀のときに言っていたくらいです。

おばさんは今で言う引きこもりのような存在だったのでしょうか。自分の子どもが引きこもりになっている今、私はおばさんの幸せはどこにあったのかと考えることがあります。

かつて私は幸せな瞬間があればこそ、生きているかいがある(特に自分の子どもには幸せになって欲しいと願っていました)と思っていましたが、おばさんの人生を考えると、実はそうでもないのかもしれないと思い至りました。

だって人の幸せと自分の幸せのカタチは違います。私がこれは大変だ、何の喜びも楽しさも感じられない、と思うような人生を楽しんで生きる人もいるかもしれません。

私がその人に対して、「あなたの人生は幸せなんかじゃありませんよ」などと言うのは、余計なお世話を通り越して、傲慢というものではないでしょうか。だから、私が見て幸せそうではなくても、その人の人生はそれで良いということになりますね。

おばさんは苦労が多くて長い人生を確かに生き切りました。私は人生に意味なんか求めないで、ただ生き切るというのが実はかっこいい、と今は思っています。そんなことを思いながら、私はフリーターや引きこもりの子どもたち、そして専業主婦の自分の人生を正当化しているのかもしれません。

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