現在児童虐待のニュースが増えているのは過渡期だから・これから良くなる可能性がある?

生活

最近、保育園や子ども園のような施設での虐待が問題になっています。なぜ今までそれほど問題になっていなかったのに、急に表面化しているのか不思議なくらい報道が増えているように思われます。

虐待の内容もこれはひどいと思われるものから、私たちの年代(1960年代生まれ)ではこれが虐待になるのか、と微妙な感じを持ってしまうものまで様々です。

誰でも虐待に加担している可能性

数分間、子どもを1室に閉じ込めたことが虐待だとしたら、子どもを育てた親の多くは虐待をしたことになってしまうのではないでしょうか。ギャンギャン泣いている子どもから少し離れて頭を冷やしたい、と別室に移ることも虐待にならないでしょうか。閉じ込めているのとは違うと言いたい方もいるでしょうが、その子どもがドアを開けて自由に出入りする能力が備わっていなかったら、それは閉じ込めるのと大差ありません。

もちろん、それで生活の糧を得ている保育のプロがやって良いこととは思いませんし、閉じ込めがエスカレートすれば何らかの事故につながる恐れもあります。ただ、そこまであげつらうことは一層保育に関係する人たちを萎縮させ、そのような仕事に就こうという人の数を減らしてしまうことになる気がします。

今は常識をリセットする時期

きっと今はいろいろな意味での過渡期なのでしょう。私たちの常識が一旦リセットされる時期に来ているのだと思います。私より下の世代のことはわかりませんが、私たちが育ってきた時代は今なら虐待と言われていることが堂々と行われていました。

教師が生徒に投げかける言葉も今考えるとひどいものがありました。私個人は、小学校で算数ができなかった私に母がブチ切れて、竹のものさしで頭を叩かれた経験がありました。ものさしは縦に2つに裂けてしまいましたが、母はそれをテープで巻いて使い続けました。

しかも、そのことを母は懐かしい思い出のように笑いながら私に語ったのです。私は直接頭を叩かれたことは覚えていませんでした。その覚えていないというのが、母には不思議だったようで、何度も私に語ってくれました。

笑いながら語る母の顔を見る度に、情けないような悲しいような、なんとも言えない気持ちになりました。多分、私は悲しいと思うのが悔しかったのです。そんなことを気にしていると思われるのが嫌だったのです。だからはっきりと情けないとか悲しいという感情を自覚できなかったのでしょう。

この算数ができないことで教師にも「知恵遅れ」だとか「普通学級では面倒見られない」と言われたそうです(これは私だけでなく、さまざまな方面の方に失礼に当たる言葉でしょう)。これも私の記憶にはないのですが、母がご丁寧に何度も話してくれました。

多分これは私だけが特別だったのではないと思います。きっと同じような経験をした人がたくさんいるはずです。その証拠に同年代の方のブログを読んでいると、いろいろとひどい体験をした人がいることがわかります。

これからは良くなる?

その後、徐々に親のしつけや愛のムチと言われたものが実は虐待であったと認識されるようになり、2000年には児童虐待防止法も成立しました。しかし、虐待を虐待とも思わないような世代は私たちだけではないはずです。人間は急に切り替えができません。頭ではわかっていても、つい虐待のような行為に走ってしまう人もいるのではないでしょうか。

今、虐待が通報される件数が増加しているのは、このためだと思います。しかし、虐待を虐待と認識できる精神にみながなっているわけですから、これは良いことです。きっと今まで続いてきた負の連鎖が断ち切られると思います。この先は心身ともに虐待はいけないと染み込んだ人が増えていき、問題も収まるのではないでしょうか。

私自身に関しては、どうしても保育者を100%信頼することができませんでした。だから、せめて子どもが喋れるようになって、何かあったら訴えられるようになるまでは自分で育てることを選択しました。とても赤ちゃんのときの娘たちを誰かに預ける気にはなれませんでした。

『自分の子どもですら、カッとなることがあるんだもの。他人の子をそうそうちゃんとみてくれるはずがないじゃない…』私はこんなことを思っていました。他ならぬ私自身が、自分の中に虐待の芽があることを一番承知していたのです。でも、これからはきっと良くなります。安心して0歳児を預けられる環境が整うことを願っています。

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