8月31日、次女は誕生日を迎え、23歳になりました。
私がパウンドキーキを焼きましたが、次女は食べながら泣いてしまいました。
私は何か言い過ぎたのかな、と考えましたが、軽く受け流しました。
次女が泣いた理由は
夫の会社からは、扶養家族に収入がないことを証明する非課税証明書を提出するように、通知が来ました。18歳以上の家族がいる場合、なぜ自分で健康保険に入れないのかを説明しなくてはならないのです。
毎年次女の誕生日の頃に通知が来て、夫がものすごく不機嫌になります。
次女が泣いたのは、本日この通知が来たことを知ったからかもしれません。
夫は健康なのに働いてない家族がいることを会社に知られるのが、恥ずかしいらしいです。私も確かに次女が通学も通勤もせずに家にだけいることを、積極的に人に知らせようとは思いません。
でも、次女を見ていると、自分の意思ではどうにもできないようで、それもかわいそうに感じます。何かを学ぶのももう嫌(大学と同じように中退したら、お金がもったいないそうです)だし、運転免許を取るように勧めても、それも嫌だといいます(事故を起こすかもしれないから、不安で運転したくないそうです)。
ただ見ているだけ、それも辛い
独立して自由に暮らしたいのに、それができないもどかしさのようなものを次女からヒシヒシと感じて、私もたまに嫌になります。でも、親が無理に何かをさせようとしても、ダメな気がします。小さな子どもでも、親が無理やりさせることには全力で反抗します。
反抗しているように見えなくても、心の中には反抗心がしこりになって残るように私には思えます。見ているしかありませんが、見ていても楽しくない、というより辛い…
不機嫌な夫も嫌だし、次女のかわいそうな姿も嫌だし、私はいつまでその間で右往左往するのかと考えてしまいます。
今引きこもりの人の高齢化が深刻な問題になっています。我が家もいつかは、と考えずにはいられません。過ぎてみれば思い出になるのかもしれませんが、いつ過ぎるかがわからないから深い沼にはまったような気持ちになるのです。
幸せになるために生きるのが人間なのに
そもそも人間は何のために生きているのか、とも考えます。
外に出て働いて、収入を得て、人生を楽しまなくては人間の価値がないのでしょうか。
すると私のような専業主婦は、価値がないことになってしまいます。
長女も次女も、幸せになって欲しいと思いながら育てた子どもです。
次女には早く自分の幸せを見つけて欲しいです。それができたら、私の気持ちも少しはスッキリするのでしょうか。そして私はいつまで見守ればよいのでしょうか。
見守るのは親の責任ですが、何だかだんだん疲れてきました。