今まではドライアイで眼科に通っているくらいだった私ですが、最近は通院する先が増えてしまいました。橋本病とLDLコレステロール値の異常で内科に通うのに加えて、骨粗しょう症の薬をもらうために整形外科にも行かなくてはならなくなったのです。
どちらも月に1度程度行けば良いので、本気で通院している方には申し訳ないくらいですが、私は病院に行かなくてはならない、と思った時点でもう疲れてしまうのです。特に骨粗しょう症は窓口で薬をもらうだけなので、何とかもっと通院の回数を減らせないものかと、考えをめぐらしているところです。
20代の頃にはもっと通院していた
今はこんなに通院を嫌がっている私ですが、20代前半の頃には、今以上に通院をしている時期がありました。別に大きな病気があったわけではありません。ただ、次から次へと不調に襲われたため、医師に「なんでもありませんよ」と言って欲しかったのだと思います。1つの不調が何でもないとわかると、すぐに次の不調が出てきて、不安でたまらなくなるのです。
結局、病院巡りは一人暮らしを始めるまで続いたと思います。一人暮らしでは、毎日生活するのに夢中で、病院に行こうと考えることがなくなりました。そのまま、結婚して子育てが始まると、病院からはもっと足が遠のいたのです。
別に今、私にストレスがないとは言いませんが、20代前半の私にはもっとストレスがあったように思います。それほど裕福な家庭でもないのに、無理をして私立大学に進学した私は、いざ進学すると母からすぐにこう言われたものでした。
やっぱりウチには無理だから、早く学校を辞めて欲しい。
自分はどうなるんだろう、同級生はみんなそのまま学校に行けるんだろうな。私はこのまま就職するんだろうか。どうせロクなところに就職できないだろうな。自分はどうなるんだろう(以下、エンドレスで続きます)。私の頭の中には、このような文句が常にグルグルと渦巻いていたのです。
今、思うとそんなストレスと不安で、私の視線はドンドン内向きになっていたと思います。内向きになり、自分だけを見つめていたから、どんなに小さな異変も大事として感じ取り、不安でたまらなくなったのでしょう。
若い時と今の違い
今、考えるとやはりあの頃の私は若くて元気だったと思います。通院を負担に思うことなどありませんでした。初めて行く病院にも臆することなく出向き、初めて会う医者にも堂々と症状を訴えていました。今、自宅の近所の病院に行くにも、スマホで嫌というほど情報収集をしないと出かけられない私とは別の人物のようです。
また、若かった私は、きっと目の前の医師が私の悩みを解決してくれる、不調を取り除いてくれると信じていました。今の私にはそれができません。『医師も人間だから、わかってもらえなくても仕方がない。大体、不調が全部なくなるなんて、私の年齢ではあり得ない』こんな風に思ってしまっているからです。
悩みが解決され、不調がなくなれば通院をする必要がありません。つまり、私にとって通院は必ず終わるものでした。だから、若い私は通院を負担に思わなかったのでしょう。しかし、今はわかっています。私の通院には、ほぼ終わりがありません。
若い時と体重が同じでも、同じ服を着られるわけではありません。それと同じで若い頃とまったく同じことをしていても、今思うことはかなり違うのだな…と感じています。
今は次から次へと不調が出てきていますが、すべてを医師に相談しているわけではありません。面倒くさいので放置しています。それでも、私はかなり元気に生活していますから、きっと大丈夫なのでしょう。あの頃のように、気持ちが内向きにならないよう、これだけは少し注意して生活したいと思います。完璧な健康体でなくても、大体元気ならそれで良いわけです。きっとね。