決断すると疲れる

家族

よく現代人は決断疲れをすると言われています。確か筆子さんのブログで読んだと思います(こちらの記事でした「決断疲れを回避する方法」)。

次女は決断できなかった

私は娘たちを見ていて、本当に決断疲れってあるんだな、と実感することがありました。我が家は2本の私鉄の路線に挟まれた場所にあります。どちらの線の駅も遠いです(近い方で徒歩30分くらいです)。遠い方の駅にはバスがありますが(バス停まで徒歩15分くらい)、近い方にはありません。

先程次女が心療内科に行きたいけれど、雨が降りそうだから遠回りになるけどバスがある方の駅を使おうかな、と言いました。バスがある方の駅を使うと、心療内科のある場所までは乗り換えが必要になり、更に時間がかかります。そこで私は次女にこう言ってみました。

ゆみこねこ
ゆみこねこ

行きは車で(近い方の)駅まで送っていこうか?そうすれば帰りは、もし雨が降っても傘をさして歩いて帰ってこれるよ。

長女はよく、帰り道は別に雨に濡れてもどうってことないから、行きだけ送って欲しいと言います。だから次女にも同じ気持ちで提案したのですが、すっかり次女は考え込んでしまいました。どうしたら良いのかわからない、とまで言い出したので、私は黙ってその場を離れるしかありませんでした。

長女も…

長女も朝、ヨーグルトとフルーツ、どちらを食べる?と聞くと答えられないことが多いです。両方食べれば、とすすめると朝からそんなには食べられないと返事があり、延々と考えることになります。

でも、ヨーグルトを黙ってテーブルに置いておくと(もしくは私がすすめると)、喜んで食べるのです。もともと人間は決断をするときに迷うようにできているのかもしれません。決断をするとき、必ず選ばなかった存在ができてしまいます(ヨーグルトを選んだとき、フルーツは選べません)。人間は自分が選ばなかった方が気になるのでしょう。

相手を決断疲れから守ろう

次女が心療内科に行くのは自分で心が疲れているのを自覚しているからです。ただでさえ疲れる決断という行為ができなくても仕方がないです。

私は良かれと思って、選択肢を増やしましたが、それは相手を疲れさせる危険があるとよく自覚しておくべきでした。

あまりに何も選べないのでは、それも相手に対する押し付けになってしまうかもしれません。でも、たまには手間を自分が引き受けるつもりで、相手に選ばせる代わりに、自分が選んであげることも必要なのかもしれません。

つまり自信を持って、今日はヨーグルト(例)があるよ、どうぞ、とすすめることが必要なのでしょう。相手は自分で選択して決断する手間が省けます。もちろん人生の重要な決断は自分でしなければなりません。

でも、小さなものでも決断を何回もすると疲れるそうです。心が疲れると大きな決断がちゃんとできなくなることもあります。大きな決断のためにも、決断疲れは避けた方が良さそうです。

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